センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

【炸裂した「近藤マジック」】エースのやきう日誌 《2019年1月19日版》

先日、野球ファンが集う飲み屋に行ってきたという話をした。

‥もうひとつ、おもろいバカ話があって、昨オフに浅村栄斗がイーグルスに移籍したでしょう? その際、ライオンズはFAの補償に金銭のみを選択した。今ちまたでは人的補償の是非が問われているそうだが、“出て行かれた”チームのファンとすれば、やはり『ヒトを獲った方が良い』そんな話題になって.......

 

それならイーグルスから誰を獲得しましょ?

イーグルスだったら誰が人的あり得たか?

いや‥イーグルスには目ぼしいの、おらんべ?

オコエは、いっそ環境を変えた方が‥‥

 

などと、決して答えのない話を小一時間もしていたのである。“会議”は難航し、なかなか意見はまとまらなかったが、けっきょくT村投手に落ち着いた。‥こうなることが判っていたら各自「選手名鑑」持参で、もっと本格的にやってみたかった次第。

 

 

さてさて、王貞治氏が平成時代を振り返っておられたニュースを観た。これからそういった類の記事がプロアマ問わず、ウェブ上ではますます溢れかえってゆくのだろう。現在日刊スポーツで連載されているものは、けっこう読みごたえがあるので、ご興味のある方はぜひ。

 

www.nikkansports.com

 

「平成」という時代は、考えてみたら、私も最初から最後まで見届けたことになる。5月まで死ななければ(笑)。だから、ある程度なら語れる。芸能人ではない筆者の“自分史”に関心はなくとも、北海道日本ハムファイターズの“平成球団史”であれば、読者方に関心を持ってもらえるかもしれない‥‥。

しかし、「正攻法」でいってもスポーツ紙や専門誌に敵うわけがないので、そこは筆者得意の“色物ネタ”も交えながら。他にも書かなければいけないのでいつまで続くかは分からないが、とりあえずやってみよう。題して

 

私と平成ハム

 

始まり始まり~

 

 

 

勝つ条件―球界一の魔術師が語る

 

◇ルーキーの劇弾

 

平成元年は、ちょうど近藤貞雄新政権にあたった年だ。近藤さんが就いてからの3シーズン‥‥「貧打」だったという印象しかない。当時は広いと謳われていた、開場2年目の東京ドームが本拠地。地の利を活かして、今でいう「スモールベースボール」に近いものをやりたかったであろうことは、私たちの目にも見て取れた。だが「スーパーカートリオ」を生み出した、前回の大洋ホエールズ監督時とちがい、肝心の“走れる選手”がハムにはいなかった。

 

ちなみに氏が平成初の退場者となったのは有名。当時のバラエティー番組などで、その様子がやたらコミカルに描かれていたのを憶えている。‥私の記憶が正しければ、開幕して第3戦目。移動日か、雨天中止が理由だったかは定かでないが、当日は他球場で試合が行われておらず、ここぞとばかりに「話題づくり」の一環で、近藤監督が“わざと”仕掛けたという説もある。すべては、メディアの目をこちらに向けさせるため‥。当時のハムは12球団有数の地味なチームだった。

 

けっきょく、その試合には敗けてしまうも、実は開幕してからの2戦をともに「サヨナラ勝利」で収めていた。しかも、ハムにとって平成最初の試合‥‥ダイエーホークスとの開幕戦は、27歳のオールドルーキー・中島輝士のサヨナラアーチによるもの。レフトスタンド最前列にライナーで飛び込んだその弾道は、まだ少年だった私の脳裏に根づよくインプットされている。

 

平成で、もっとも華々しいスタートを切ったのは、まちがいなくファイターズである――

(つづく)

 

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