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センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

ドラフトは「不幸」ではなかった

ある男性大物タレントが、こんな言葉を口にしていたそうだ。

 

ジャイアンツに入っていればなぁ...』

 

いわく、ドラフトですんなり巨人入りしていれば、また違った道が拓けていたかもしれない‥‥。もちろん、清原和博のことを指している。


だが、本当にそうなのだろうか。今回の事件で露呈したように、メンタルの部分でも問題があったとされる彼が“ジャイアンツに入っていたとしたら”。‥逆に、あれほどの選手にはなれていなかったのではないかと、自分は思う。

 

野球好きの間でよく云われていたのは『最初が西武だったから‥セ・リーグと比べて極端に注目度の少ないパ・リーグの球団であったから、清原は早くに活躍できたんだ』 そうした見方をする人が、以前からわりと多くいた。12球団で一番ファンと取り巻くマスコミの数が多い、どのチームよりも「常勝」を求められる巨人に行っていたら、類まれな才能を開花させる前に、その芽をつぶされていたかもしれない...


たしかにPLから直に巨人に行っていれば、西武からの移籍時とちがい、ファンはもっと温かい目で見守り続けたであろう。‥ところが意中の巨人はドラフト当時、投手を欲しがっていた。その結果が、桑田真澄の1位指名ある。一塁には中畑清がいて、三塁には原辰徳。どちらもまだ“バリバリ”の主力選手。

 

仮に清原を獲ったところで、持てあます可能性は十分にあった。試合に出たい、けど、出してもらえない‥。あとはどれだけ「不遇」の時期に本人が耐えられるかだ。‥のちに起こった話とはいえ、クスリにも手を染めてしまうようなモロい精神力では、まして重圧多き巨人の四番は、到底務まらなかった‥という見方。

 

その反面、西武はというと一塁を守っていた片平晋作がもうベテランの域に達していたし、コレといったライバルは見当たらない。高校時代から愛着ある一塁のポジションと、背番号「3」まで空けて待ってくれた球団に指名された清原は、巨人に行くよりも、はるかに仕合せな“道”であったのではないか。

 

西武と巨人のドラフト10年戦争 (宝島SUGOI文庫)

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‥結果論であり、本当に想像を域を出ないのだけれど、あの大物タレントの言葉を置き換えるとすれば、筆者ならこうである。

 

『FAなんか、なければなぁ...』

 

FAがなければ、巨人にいくこともなかった。行けたとしても、我が子のごとくにかわいがっていた堤義明オーナー(当時)のこと。現役晩年くらいまでは手放さなかったであろう。つまり、この時点でクスリと“出合ってしまう”リスクは、今よりもグンと低くなった。

 

運命を“狂わせた”のはドラフトでは決してなく、FA‥。この制度ができ、行使して彼を巨人に行かせてしまったのがすべてであったと、中立なファンの視点でみて思うのだが、どうだろう---