センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

ヤクルトのイメージ?

オリンピックと、神宮球場の問題‥‥。以下、スポーツ報知より、引用。

 

 

2020年東京五輪パラリンピック大会組織委員会がプロ野球ヤクルトスワローズの本拠地、明治神宮野球場の使用を五輪開催期間を含む20年5月から9月の大会終了までの約5か月間にわたり使用を中止するよう球場側へ打診したことが4日、複数の関係者への取材で分かった。5か月の中断期間では、東京六大学野球やヤクルト戦など200試合以上が行われる見通し。要請を受け入れた場合、すべての試合を代替会場で行うことが余儀なくされ、野球関係者は困惑している

 

 

当初から『五か月だか七か月くらい、貸してやればいいじゃないか』と感じていた。念のため、私は特段、オリンピック好きではない。

ただ、ヤクルト球団には“期間限定”で、地方にホームを置くのも、この際いい機会だし、どうだろうと推奨してみたかったのだ。近年、野球熱が高い四国とか沖縄とかで、年間70試合くらいプロのゲームが観られれば、住民たちはさぞ喜ぶだろう。一生懸命東京ヤクルトという名の「おらがチーム」を、応援してくれたと思う。

 

‥むろん、選手の住居や移動の問題等、一筋縄でいかないのは私とて承知の上だが「1シーズン限定」と分かっていたなら、選手もある程度の負担なら我慢するだろうし、球団も新規ファン開拓のためにと、出費を惜しまなかったはず(あと“組織委員会”とやらにも、賄ってもらえばいい)

 

筆者がこのように思う背景には、やはり「駒沢球場」の存在がデカい。わが北海道日本ハムファイターズの前身球団にあたり、東映フライヤーズが本拠としていた野球場。1964年の東京五輪開催で、東京都に同地の返還を求められ、閉場を余儀なくされたという、哀しき過去を持つ。

 

神宮のとは事情が異なるとはいえ、フライヤーズナインは駒沢球場でプレーすることも、ファンが駒沢球場で野球観戦をすることも、球場取り壊しによって、もう二度と、叶わなくなってしまったのだ。オリンピックのために、永遠に失われたスタジアム‥‥。

 

この東映のケースと比べたら「7か月くらい」と、相成ったのが冒頭のいちばんの真意である。東映の新本拠地として、しばらく神宮を使わせてもらっていたのも何かの因縁か。しかし、私も浅はかで、肝心なことを置き去りにしていた。

 

神宮はプロ野球のものだけではなかった事実に、くだんの記事を目にして、あらためて気づく。たしかに、五輪が行われる前後の期間は高校・大学含め、アマチュア球界も日程的にいろいろ難しい時期だ。野球をする場所に、プロは頑なにこだわる必要もないと思う。が、学生たちにとっては、使い古された言葉であるが、神宮は、やはり「聖地」となり得るのだろう。

 

 

懐かしの球場 関東編

 

 

ヤクルトスワローズ。このチームは何か昔から「オシャレ」な感じがしていた。TOKYOのチームだからというのもあるだろうし、選手が女子アナやタレントと交際していた報道を、以前はよく聴かれたからかもしれない。

 

だからなのだ‥。あのとき、亜大の小池秀郎は巨人、西武、ヤクルトを「逆指名宣言」した。同じ在京球団、でも我が日ハムは、なぜNGなのか。弱いからか?弱いのはヤクルトも一緒だろ。いや、パ・リーグだからか?‥‥西武はよくて、ヤクルトでもいいのに、日ハムがダメな理由を、当時小池に問いただしたかった。

 

後年、私も大人になってから判ったのだが、3球団と決定的に日ハムが違っていた点。「華やかさ」の欠如。ユニフォームは無駄に派手なのに、球団のカラーが、とにかく地味であったのだ。

ヤクルトのように弱くても、監督はタヌキみたいでも、実力も伴った人気選手はゴロゴロいたし、西武は強いし、金もある(当時)。考えてみたら日ハムには、とり立てて誇れるものが、本拠地が東京ドームということ以外‥他に何にもなかった。したがって、小池は“東京の球団で唯一、日ハムだけを“スルー”したのだ。きっとそうに違いない。

 

 

亜大時代、小池と同級生だった高津臣吾がヤクルトから3位指名。小池のクジを引き当てたロッテが直前まで指名を検討していた岡林洋一専大)も、外れ1位でヤクルトへ。「運命」にあがらうことなく、プロの道に進んだ二人の活躍ぶりは周知のとおり。

言いたい放題だった小池に、まるで野球の神様が嫌がらせをしたかのような、1990年のドラフト会議であった。