センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

どこにも報道されない、「飼育員」の想い

苦い思い出がある。

 

 

筆者は、動物・水族園が好きで、各地を巡っているのだが、某所でのこと。比較的小型のある動物に、たまたま自分が手にしていた食物を檻越しに与えようとして、飼育員にえらい怒られた。

入園料を払っている、子供でもないオトナの自分が、なぜそこまで云われなければならないのか‥‥若き日の私は、ほんの一瞬ムッとした。しかし、すぐに反省した。動物に勝手に餌を与えようとした行為、これは叱られて当然である。

手塩にかけて育ててきた、担当している動物への愛着心。これもあるだろう。栄養のバランスを考えて、毎日、決まった時間に、既定の量の餌を与えているのに、“部外者”が偶然やった食べ物のせいで、お腹でも壊されたらたまらない。

血相を変えた飼育員の顔を見て、私は、こんなふうに解釈した。

 

 

お前なんかより、大事なんだ!

 

‥飼育員にとっては、見ず知らずの私という“ヒト”よりも、その飼育動物の方がウン千倍かわいいのだ。お前みたいなボンクラがいたって別に誰も喜ばない‥死んだって構わない‥‥は、少し極端かもだけど、でも、自分とその動物の“価値”を考えた場合、たしかに私の方が分が悪くなるのは明白である。

存在して喜ぶ人間がいるのは、当時の時点で、冴えない若者であった私よりも、圧倒的に動物園にいる動物たちの方。さらにイヤらしい話、他の動物園から、あるいは捕獲して遠路、はるばるやってきている動物には、コストも随分とかかっているのだ。親のスネをかじって生きている『お前なんかより‥』と相成ってしまっても、ある種、仕方ないことなのである。急に、自らを恥じる思いがした。

 

 

 

動物の値段―シャチが1億円!!??

 

 

柵から飼育舎に落ちた子供を救うために、ニシローランドゴリラを射殺

 

 

 

オハイオ州で起こった、たいへん痛ましい事故。射殺した人間も断腸な想いであったのは、想像に難くない。

「人命第一」とはいえ、本当に、あれでよかったのか‥‥もっと他に手だてがなかったのだろうか。私は射殺という選択が正しかったとは、到底思えない。‥いや、正確には思いたくない。

あの落ちた子の親のように、我が子同然でゴリラをかわいがってきた飼育員の心情を想えば、「絶命」という結末は、あまりに哀しすぎる‥。武器を用いた“ヒト”が、たまたま食物連鎖の頂点に立っているだけであって、命の尊さに「大小」はない。

 

人間に連れてこられ、無理やり檻の中に閉じ込められたゴリラ。本来ならありえない、けれど運悪く、そこに落ちてしまった男の子‥‥。飼育下にあったあのゴリラに、何も罪はない。悪いのは、どちらかといえばヒトの方だ。殺す資格なんて、ヒトにはなかったはずだ。

 

 

世界的にも個体数の少ない、希少な種のゴリラ。件の映像をみた専門家によると、当のゴリラ・ハランビには、危害を加えるつもりなどなかったそうだ。「後のまつり」とはいえ、私はまた哀しくなった。

見舞金などを受け取らない。その変わり動物園に寄付するように申し出ている男の子の両親が、不幸に“亡くなった”ゴリラに対しても「哀悼の意」を示しているのが、わずかな救いだ。