ベッドの上にいる、息を引き取る数時間前の主と、一緒に収まった家族の写真....
木村拓也を取り上げる、今年の24時間テレビでの一コマだ。
ノックの最中、まさに「そのとき」の映像が繰り返し映し出され、当時の彼と同年代になった私も身につまされる思いがした。たいへんショッキングな出来事であったが、今‥あらためて振り返ってみると、木村拓也はかなり格好いい“逝き方”をしたと思う。
奇しくも、かつて自身が「戦場」としていた広島の地。しかも、そこに立てば誰もが主役になれる、バッターボックス上である。手に握られたままのボールは、決して離されることがなかったという‥‥。
『グラウンド上で死ねたら本望』そう口にしたのは、仰木彬氏だったろうか。あの情熱家でさえ叶えられなかった、野球人としてこれ以上ない人生の幕引きを、木村拓也はしてみせた。
‥むろん、まだ彼は若かったし、愛する家族を残して逝ってしまうことにかんしては、無念の想いもあったはずだが、意識を消失した“死に場所”とすれば、あそこは最高ではなかったか。これまでも、きっとこれからも‥‥“キムタク”だけのオンリーワンである。
しかしながら、カープに行って良かったと本当に思う。彼くらいトレードで道が拓けた、判りやすい選手も珍しいだろう。ファイターズでの外野守備要員から、カープでは二塁のレギュラーをつかむまでに急成長。あの小柄な躰で、ついにプロ9年目で初本塁打も放った(だから中島卓也もホームランを打てる日が来る)。ファイターズの損失は大きかったが、ここまで才能を開花させてくれたなら、他チームでも、むしろ気持ちがいい。
木村拓也がファイターズに入団したのは、もう25年も前。近藤貞夫監督のときである。時代を感じずにはいられないけれど、私はこの「25」という数字に、近ごろ何か因縁を感じ始めている。
25年ぶりの歓喜に向かって突き進む、広島東洋‥。病に倒れた「津田のために」と、ナインが一致団結して逆転で優勝した1991シーズンは、とても印象深い。下馬評を覆し、日本シリーズでは王者・西武をギリギリのところまで追いつめた。
その広島と、なんとしても日本シリーズで相見えたいファイターズも、10年前の2006年に25年ぶりのリーグ優勝を飾っている。だから、ファイターズファンと同年にデビューしたSMAPファンには「25」という年月の重さの意味は、よく分かっているつもりだ。
今年は日本シリーズに絶対に出場したい。この想いが例年よりも強いのは、広島相手を想定しているからに、他ならない。ファイターズには広島にゆかりのある選手も多く、「メジャー帰りの黒田vs二刀流の大谷」といった究極対決も見られるシリーズは、全国の野球を巻き込んで、大盛況必至だろう。
おもえば意外と共通点が多い両チーム。ダルビッシュのレンジャーズ入り後にエース級の働きをした吉川光夫。彼の広陵高校の後輩にあたる野村祐輔は現在、ドジャースに加入した前田健太の穴を埋める活躍をみせている‥。日本球界復帰後にカリスマのような存在となっている黒田博樹は、新庄剛志のときのものと、少し似ている‥。
それこそ木村拓也以降、セ・リーグの各球団と比べて、広島とは交換トレードなどといった交流が何故かほとんどないファイターズであるが、日本プロ野球最高峰の舞台で「初対戦」したいものである。