センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

武田勝という男

武田勝」でググろうとすると、サジェスト機能によって、まっさきに「武田勝頼」の情報が表示されようとする。この時代の歴史に疎い筆者はよく存じ上げなかったが、戦国時代の大名で、父は信玄‥‥?なんと、あの武田信玄のご子息であったか。

 

それは、全国的な知名度はファイターズの変則左腕よりも高くて当然、納得である。‥勝頼も、当時何かで表記される際には武田勝となっていたのであろうか。なんだか彼に妙な親近感が湧いてくる。ちなみ、マサルの同僚・武田久で同じことをしようとすると「武田久美子」が一番手だ。

 

 

私には不思議だった。27歳でプロ入り。結婚は、プロ入り前か後だったのか失念してしまったけれど、それでもマサルが絶大な女性人気を集めなかったことを。実、彼は、

 

ものすごく、イイ男なんである

 

‥この際、色んな人に武田勝という男を知ってもらいたい。「ハンサム」や「二枚目」という言葉がシックリといく、正統派路線のイイ男‥。新庄剛志ダルビッシュ有は、なんとなく“つくられた”感じがするが、マサルは生身のイイ男‥。社内やクラスにいる、いかにも身近にいそうなイイ男‥‥。来世は、筆者もあんなマスクをかぶって生まれたい。

 

 

ファイターズマガジンNo.35

 

 

「天は二物を与えず」なんて、あんなの嘘だ。プロ野球選手になったどころか、イイ男のマサルはエースにまで上りつめた。右がダルビッシュなら、左は武田。球団史上、最強クラスの投手が同時期にふたりもいたのだから、ファイターズは強かったわけである。

 

左腕では球団初となった4年連続二桁勝利の実績が示すとおり、抜群の安定感を誇った。タイプの違いはあるとはいえ、制球力の観点でいえば、まちがいなくダルビッシュより上。マサルにかんしていえば、四球から崩れることなど、まずありえなかった。

 

驚くべき数字がある。自己最多となる14の勝ち星を挙げた2010年は168回1/3イニングを投げて、与えた四球はわずか19‥。与四球率で換算すると1.02という数字がはじき出される。9回を完投して四球をひとつは与えるが、二つめは絶対に許さないといった塩梅。いかに制球面で優れていたかが窺える数字だ。

 

 

個人的に、なぜか4年前‥2012年の試合の印象が色濃かった。鮮やかな2安打完封、イーグルス打線をまったく寄せつけなかった、4月29日の楽天戦。あらためて、このときの試合を振り返ってみると、栗山監督が『素晴らしい。芸術だったよね』と、マサルを評している。

 

芸術‥‥。そう、彼のピッチングは確かに芸術的だった。ストレートなんか130キロにも満たないのに、それでも得意の「チェンジアップ」を駆使して、緩急をもちい、変幻自在の投球で打者を牛耳った。球の速さや勢いより、コントロールや組み立ての方が大事であることを、マサルの投球を見ているとよく判る。

 

足の故障からか、持ち前の制球力に狂いが生じ、ここ2、3年は苦しいシーズンが続いた。好不調の波が激しい吉川や加藤に加えてもう一枚、左で先発もこなせる武田勝のカムバックを望んでいたが、それもとうとう叶わなかった。今、一軍はソフトバンクと熾烈な優勝争いをしている最中であるが「ホークスキラー」として名を馳せていたのも、思い出深い。

 

ただ、入団時から目標にしていた38歳まで現役を続けられたこと。10年で82もの白星を積み上げられたことは、誇りに思っていいのではないか。‥前出の加藤貴之同様、マサルも入団当初は「スウィングマン」として、柔軟に役割をこなしていた。そして、オールスターや日本シリーズといった大舞台での登板‥。えがたい経験の数々、背番号「38」の魂は後輩たちの手によって、たしかに引き継がれていくだろう。