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センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

「尾崎豊」を唄わなくたっていい

息子を、尾崎豊にダブらせる.....

 

 

なかには、そういったファンもいるだろう。たしかに尾崎のDNAを持った息子は、父と瓜二つな声をしている。けれども、当然、尾崎豊ではないし、彼になることも、今後近づくこともできない。あくまで「カバー」の範疇。うがった見方をすれば“よく似た歌声”を聴くだけなら、別に山寺宏一だっていい。

 

物まね番組や、自身のライブで「余興」として唄われる分にはいくらでも構わないが、最近テレビで父の楽曲を披露する息子の姿を、よく見かける。‥おそらく、現場から望まれてそうしているのだろうけれども、“尾崎豊ファン”は彼の歌唱に、いったい何を思うだろう。

 

そこで感慨深げになってしまったヒトは、“真のファン”ではなかったんだと思う。あるいは尾崎豊の死後に、CDを聴くなりしてファンになったクチ‥。

一度でも行ったことがある人は分かるだろうが、彼のライブは命がけだ。可能なかぎり声を張り上げ、あるときは躰を張って、すべての楽曲には「魂」が宿っていた。

 

あれらの楽曲が、ひとつの「SHOW」として届けられてしまう。いつかテレビで【卒業】を耳にしたとき、僕は耐えがたかった。父と同じ、とても綺麗な歌声だ。強弱も完璧。でも、ちがう‥。決定的に何かがちがう。あれは、尾崎豊の【卒業】じゃないーー

 

親子とはいえ、“他人”なのだからそれは当たり前なのだけど、父に似せて唄っているところが、逆に哀しかった。父との差を露呈してしまったからなのか‥息子でも、決して尾崎にはなれないという事実を突きつけられたのか‥‥とにかく、哀しい気持ちにさせられた。

 

25年前の4月25日。あの急逝した時点で、やはり「伝説」になるべきだった。

物まねでもなく、いかにも尾崎豊然とした男が、彼が生んだ楽曲を今の世に送られること自体、ちがっている。息子の著書にも目を通したが「オリジナリティ」を出すのを“二世”だから許されると思ったら、大間違いだ。それはそれで、今度はファンを冒涜している。

 

 

先日のサンデー毎日に興味深い記事があった。デビュー時から尾崎の近くにいた関係者の話として『あらためて思うのは、尾崎豊というのは、詩の世界がよかったのだろうけど、ルックスとボーカルという部分も大きかった』そんなコメント。

 

‥なるほど、我々はたしかに彼の詩に魅せられていたが、はたと当時の映像などを見返すと、今更ながらえらく男前であったことに気づく。息子もディーンフジオカごとくな風貌をしている。イケメンだ。だが、それとはまた種類のちがう、父親はなにか男の「色気」を感じさせてくれるような人だった。これで【COOKIE】なんか唄われたら、女はノックアウトだろう。

 

ピアノ弾き語り 尾崎 豊 (楽譜)

 

 

Hey おいらの愛しい人よ おいらのためにクッキーを焼いておくれ

 

 

一般的には【15の夜】や【卒業】で見られたような不良(ワル)のイメージが定着しているのかもしれないが、優しい曲もたくさんあった。

 

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