センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

安打製造機「ハリー」以外にも、英雄がいた件

だいぶ暑くなってきた

 

この梅雨時期特有の蒸し暑さは、なんとも厭なものである。躰も心もサッパリしたい衝動に駆られ、久しぶりに床屋というところに行ってみたのであるが(いつもは美容院)、これが裏目にでた。

近年ほとんどのヤローがそうしている「ツーブロ」をオーダー。流行に敏感な美容師がいるわけじゃあるまいし、モデルの写真をみせたりアレコレ口頭でリクエストするのもナンだと思ったから、ほぼ“お任せ”状態にすると、両サイド、刈り上げ部分の面積がやたらに広く、黒々とした上部のアンバランスさが、なんとも異様。よーくみると、まるでどこかの国の将軍様みたいなのである。

 

‥やってしまった。私は髪が伸びてくるまで、ひと月以上をコレで過ごさなければならないのか。ちょっと鬱気味。

 

 

ちまたでは、近藤健介(23)君の打率の話題で持ちきりである?

 

ていうか、近藤。まだ23なんだな。ずいぶん昔から一軍戦に出場していたので、もっと歳を食った選手なのかと思っていたら。

もともと高い打撃センスを誇っていたが‥とはいえ、今シーズンは一体どうしてしまったのだろう。開幕から47戦を終えた時点での、打率4割越え。ついに、あの張本勲氏が持つ球団記録を抜きさった。

 

 

www.nikkansports.com

 

 

日曜日の朝にハリーが何を申し上げるのか、今から楽しみだ。

 

ところで、これはあまりクローズアップされていないのだが、安打製造機・ハリーが以前に記録を打ち立てた1973年という年は、正確にはまだ「日本ハムファイターズ」ではなかった。当時は【日拓ホームフライヤーズ】と呼ばれ、そのわずか1シーズンぽっきりで身売りするに至った、ある意味、伝説の球団。

 

同球団は曜日ごとに?ユニフォームを変える【7色のユニフォーム】で、マニアの間でも有名だが、これは後期(当時は前後期制)から採用しており、ハリーが4割でいた6月の頃は、東映時代のものと変わらない、ごくごくシンプルなデザインだった。

 

‥あまりにも周りが騒ぎ立てるから、将軍、過去の資料を引っ張りだして調べてみた。

 

ハリー出場45試合目の時点で打率.417。46試合目で俗にいう4タコに終わり、それでも4割キープの.406。近藤はこの記録を越したことになる。

参考までにハリーは次戦も4打数無安打に終わって、一気に4割台をわって.395。たった2戦、8打席ヒットがでなかっただけで打率を2分も急降下させてしまう‥‥。いやはや、4割打者の道のりは相当に厳しそうだ。

最終的に打率が4割を越えていればいいとは、試合後の栗山監督談。この男だけは、どうもガチっぽいw夢は正夢、なるか。

 

さて、日拓ホームは短命だったが、意外に“メモリアル”が多かった。ハリーは、残念ながら阪急の加藤秀司首位打者を持っていかれたけれども、ルーキーの新美敏がその年の新人王に輝いた。

そして、ハリーがくだんの打率.417を誇っていた日、6月16日の近鉄戦。髭を生やす前の高橋直樹が、ノーヒット・ノーランを達成。1四球を与えたのみの打者27人(唯一の走者が盗塁死)完全試合である。

 

 

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朝日新聞 昭和48年6月17日「スポーツ」より 

 

 

近藤のおかげで、久々に将軍この記事を読み返したが、懐かしかった。それにしても、【こちら最下位争いですが】の見出し(笑)。当時のものは、余計な一言が本当に多いなァ。

 

高橋直無安打無得点試合をし、ハリーも4割の記録を長らく保持‥。球団自体はすぐに消滅してしまったけれど、球史にこれだけ【日拓】の名を残せたのだから、西村昭孝オーナーも、大枚をはたいて球団を持った甲斐があったというものではないか。

 

短命・日拓ホームに、どうか皆様も「あっぱれ」あげてやってください。

 

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