センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

熱かった「公」の日の、1993

花咲徳栄高校の優勝で幕を閉じた、今夏の甲子園....

 

 

勝戦の行方は私も見守っていたが、そもそも埼玉県勢が決勝に進出したこと自体、24年ぶりであったそうだ。

 24年前、春日部共栄の2年生エース・土肥義弘が甲子園のマウンドで躍動。優勝した育英打線には大村直之。準決勝で春日部共栄に敗れた常総学院には、清々しい金子誠の姿もあった。いずれも、とうに「現役」からは退いているが、パ・リーグの一時代を築いた男たちである。

 

 

1993年‥‥。今年も降雨の記録をつくったが、あの夏も「冷夏」で、そのおかげでずいぶんと受験勉強が捗った記憶もある。あるいはこうした“寒い”夏に、埼玉人は強さを発揮するのか。

夏が暑いのはどこも一緒だけれど、内陸に位置するご存知、海なし県‥。暑さで有名な熊谷市が代表されるように、埼玉の夏は異様に暑く、感じる。前回1993年のときといい、甲子園では「気候」を味方につけることも、多少はできたのかもしれない。

 

 

対照的に1993年のプロ野球は熱かった。‥厳密にいうと、日本ハムの1993年は熱かった。

ちょうど24年前の今頃、東京ドームに首位ライオンズを迎え撃っての三連戦。大沢語録」がマスコミに注目され始めていた時期でもあり、連日ドームに5万人を集める大盛況ぶり。しかもファイターズはこれに三タテして、首位に0.5差と迫った。

 

当時「無敵」を誇っていたリーグ3連覇中の西武を、“慌てさせた”。ひいきチームの「首位攻防戦」すら生まれて初めて目にした少年時代の私にとって、あのときほど、ファイターズナインが逞しく映った日はない。試合後、ダッグアウトで旨そうに紫煙をくゆらす親分が、妙に印象的だった。

 

 


class 夏の日の1993

 

 

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