センテンス・オータム

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【詰め合わせ】 日本ハムあれこれ話Neo5

10月12日は、ファイターズファンにとって「特別な日」だ。

 

 

11年前の今日、福岡ソフトバンクを破り、25年ぶりのリーグ優勝を決めた日。当時はペナントレース1位通過チームではなく、プレーオフ(現CS)に勝ったチームがリーグ覇者とされた。敗けたら、すべてが水の泡‥‥。短期決戦の経験に乏しいファイターズが強敵相手にどこまで戦えるか、正直、不安は尽きなかった。

おそらく、これと似た不安は関係者も抱いていたのだろう。1位通過が決定した日にも、とりあえずビールかけは“済ませておいた”。万が一、プレーオフに敗けたときのことも考えて。‥おかげで、日本シリーズ制覇のときも含め、年間3度もビールかけをした球団は、後にも先にも北海道日本ハムファイターズくらいではないか。

 

 

ファイターズ日本一―2006オフィシャルグラフィックス

 

 

稲葉篤紀の内野安打の間に、森本稀哲が二塁から一気に生還。ガックリ膝をつく斉藤和巳‥。野球史に残る名シーンだ。このシーンばかりが、やたらにクローズアップされる。したがって案外忘れがちなのだが、全盛・斉藤和巳と互角に投げ合っていたのは、新人の八木智哉である。

近年のカレを見ていると、にわかにシンジラレナイけれども、これは事実だ。2006年当時の八木は、まだストレートに速さもあったし、決め球「スクリューボール」を武器に、強打者連中を牛耳っていた。八木にとっても、待望の左腕エース誕生に歓喜した我々ファンにとっても、夢のような一年だった。

 

とうとうあのときのキレが甦らないまま、トライアウトの末に入団をはたした中日ドラゴンズからも、今月3日に戦力外通告を受けた。

オリックスを含め、在籍した3球団ではほぼ先発投手として起用されてきた八木だが、“後ろ”での起用はどうなのだろう‥‥。わりと以前から、これは感じていた。スリークォーター気味の変則フォームは「対左打者」で、活路を見出せそうな気もしなくもないが。個人的には元西武、主にワンポイントで活躍した星野智樹なイメージ。‥陰ながら、彼の幸福を願っている。

 

 

武田久黒木知宏コーチ、退団に寄せて

 

2006年、八木とともにファイターズの日本一に大貢献した、中継ぎエース・武田久(39)の退団が決定した。

武田なら‥武田自身が望めば引退試合で花道を飾って、将来指導者のポストも約束されていたと思う。にもかかわらず、他球団で現役を続行したいという。170センチにも満たない身長でありながら、長らく「守護神」としても名を馳せた、反骨心の塊‥。いかにもヒサシらしい決断だ。

『彼くらいファイターズで現役を終えてほしい』そんな想いも少なからずあったが、本人がそう望むのなら、我々はもう応援をするしかない。

無死満塁の場面から登板し、けっきょく相手を0に封じた武田久の17球】は、ファンの間では有名な話(2007年5月6日 対Bu)。先発した先輩の金村の横で、やたらに恐縮していたが、あの日の武田は、他のどの投手よりもデっカく見えた。

また、いつか‥札幌ドームのマウンドで、彼をみたい。

 

 

ファイターズマガジンNo.35

ついに「W武田」がチームを去ることに.....

 

 

9日、黒木知宏投手コーチの退団も発表。

コーチの退団で悲観する理由は、なんてことない‥‥黒木氏のユニフォームの着こなしが、たまらなく好きだったから。選手以外で、氏ほどファイターズのユニフォームが様になっていた男を、自分は知らない。

ブルペンの担当であったから、試合中あまり目にする機会はなかったと思うが、たまにひょっこりベンチに顔を覗かせる黒木氏も、わりと好きだった(笑)。ファイターズの“ジョニーさん”をもう見ることができないのは、私にとって痛恨の極みである。

  

 

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