センテンス・オータム

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日記的なもの 映画【ファイナル・デスティネーション】

吉岡忍著【墜落の夏】は、僕のなかで渦巻いていたものが「確信」に変わる一冊だった。

 

 

墜落してしまう123便に、奇跡的なタイミングで搭乗を免れた、ある男性の話。彼はその数日後、風呂場で転倒し、頭を打って“けっきょく”死亡する‥。『嘘のような本当の話』の一文が、忘れられない。

これを読んで、僕は一層ヒトが「生」でいられる時間は、予め、決められているとしか思えなかった。病気であれ、不慮の事故であれ、なんであれ‥‥それは訪れるべくして、そのヒトに訪れる。

一般的に「運命」などと呼ばれる事象に、ヒトは、決して抗うことはできない。ただ受け入れることしか、他に手立てはないのだ。‥いや、たったひとつだけ、“回避”する方法があった。やがて自らに降りかかるその「運命」とやらを、もし‥事前に察知することができたとしたらーー

 

 

ファイナル・デスティネーション(2000) (字幕版)

 

 

離陸直前、飛行機が墜落する夢をみた主人公。不吉に感じた彼は飛行機を降りた。その際に、トラブルを起こして降ろされた同級生や、生徒に引率する予定だった教師を除き、飛行機は予定どおり飛び立つ。しかし、彼が夢でみたとおり、直後に空中で爆発してしまうのだった。

 

映画ファイナル・デスティネーションの、ショッキングな冒頭シーン。

形はどうあれ、主人公の夢のおかげで命拾いをした男女7人だったが、彼らにも“きちんと”死の時間はやってくる。順を追って、次々と非業の最期を遂げていく‥。目にみえぬ脅威に、彼らの恐怖は最高潮に達していたが、主人公はそこに「ある法則」を見出した。

はたして運命に抗うことはできるのか‥‥漠然とではあるが、本作はこういった物語である。記事の作成上、はやく顛末を申し上げたいところだけど、これからご覧になる方方もおられるかもしれない。詳細については差し控えるが『救いはなかった』とだけ、述べておこう。

 

 

当作品を観て、自分や他人の運命を事前に知れてしまうのも、それはそれで怖いことに気づいた。知らない方が、おそらく平和に過ごせる。本当に死から回避できればいいが、たぶん、一時的なもので、知ったところでどうにもならない。これも含めて、すべてがもう「運命」なのだ。

 

 

僕も、何度か似た想像したことがある。【君の名は。】よろしく、時空を超えて、大事故大災害が起きる前の場所に行き、彼らを救ってみたい。しかし、ただ危ないヒトだと思われるだけで、きっと誰からも相手にされない。‥三葉もそうだったはずだ。結局どうすることもできない。

 

もし、そこに愛するヒトがいたらどうか。僕は引っ張だいてでも、引きずり出すだろう。少なくとも“その世界”にいる彼女を救う。運命は変えられない。変えられはしないが、変えようと努力をする。そのプロセスは美しい。まさしく【ファイナル・デスティネーション】、あの世界観である。

 

 

《参考》墜落の夏―日航123便事故全記録 (新潮文庫)

 

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