それは突然の知らせだった
糸井が‥‥‥‥トレード!?
忘れもしない6年前の“きょう”、1月25日である。春季キャンプ直前に、北海道日本ハムとオリックスとの間で交わされた大型トレードを、職場の同僚から伝え聞いた。「まさか!」の心境だった。
嘘だろ‥‥やめて‥‥信じられん
ハムのファンであることを知らせていなかったその同僚は、私の素っ頓狂な態に、さぞ驚いただろう。当時、糸井嘉男は30歳を少し過ぎたころで、バリバリの主力。落ち目でもなんでもない。どちらかといえば「これから」の選手だ。なぜ、そんな選手をファイターズはトレードに出してしまうのか......
糸井さんトレードとか、ありえん
そうダルビッシュがつぶやくのも、当然である。
‥件のトレードに対しては、今なお筆者も色々と思うところがあり、この際だから吐露させてもらうと、誠に『何してんねん』としか言いようがない。糸井を放出した2013年、ファイターズは前年優勝から一気に最下位へと沈み、また彼も、以後4シーズンにも渡って面白いように古巣相手に打ちまくった。シャレにならない。
よりによって同一リーグのチームに‥‥。それなら、あのとき“素直に”アメリカに行かせておいたほうがよかった。他球団で活躍し続ける、“ファイターズで育った”糸井を、私たちはいつも『恨むわけにもいかぬ、かといって喜ぶわけにもいかぬ』といった、複雑な想いで見つめていたのだ。
しかしながら、どうだったのだろう。たしかに6年という歳月が経ってはいるけれど、糸井を含め、今現在トレード先の球団に残っている選手は、一人もいない。糸井を出してまで獲得したある選手にはFAで出ていかれ、あげく退団時に恨み言を吐かれる始末‥。後味の悪さに、いっそう拍車がかった。
「糸井のトレードはありえん」のだが、万が一“あり得る”とすれば‥‥
私は『世紀のトレード』と呼ばれるくらいのことをしろよと、以前に書き込んでいたのを思い出した(※1)。トレード相手が仮に、大投手の金子千尋であったなら、我々も妥協‥いや、納得しただろうと。
その金子が今シーズン、「まさか!」こうした形でファイターズにやってくるとは思いもよらなかった。FAでもなくトレードでもなく、半ば戦力外同然での移籍‥。「世紀のトレード」を訴えたときと、状況はまったく異なるが、もはやそんなことはどうでもいい。ともかく、5年越しのラブコールが実現したのだ。
‥金子弌大の入団で、少なくとも私は「糸井ショック」を、幾分拭い去れたような気がする。“糸井の代わり”といわんばかりに、オリックス戦での快投を、ぜひ期待してみたい。
連載企画【私と平成ハム4】
◇多摩川にいた助っ人
NPB実働4シーズン、通算145試合の出場は現代プロ野球の、ほぼ1シーズン分。彼の主戦場は東京ドームではなく、二軍のグランドがある多摩川の河川敷だった。
1988年に入団したブライアン・デイエットは当時31歳で、いま流行りの「育成枠」でも何でもない。形のうえでは歴とした“助っ人”扱いである。まがりなりにもメジャー経験のある選手が、草野球の試合が行われるような粗末なスタジアムで、若手たちと混じって野球をする。想像しただけでシュールだ。
「第3の外国人選手」として、他の助っ人に不測の事態が起きたときだけ、一軍に“出動”。用が済んだら速やかに二軍に帰る。‥これだけ聴くと、まるで“多摩川署”に駐在している消防士のようだ。
あらためて彼の成績を眺めていると、日本での最後の2シーズン。90年は15試合の出場で3本のアーチを放っているし、91年も42打数14安打で打率は.333。辛抱強く起用していれば“それなりの”数字は残していたかもしれない。事実、人が変わったように打ちまくって、当時の近藤監督をうならせるシーンもあった(※2)。
デイエットと同時期にいたのが、トニー・ブリューワとマイク・イースラー。つまり、彼らがメイン助っ人。
ブリューワも4シーズン在籍し、通算99本塁打のたいへんな実力者であったが、最終的に伊藤敦規投手に喰らわした「ラリアート」の方が有名になってしまったのは残念。
昭和の終わりの年に、39歳という高齢で来日したイースラー。2年という短い期間の在籍ながら、あの物まねのおかげで今ではすっかり全国区(?)。なんとなくキャラ先行の感があるけれども、MLBでは通算1000本安打と100本塁打を記録しており、上に挙げた二選手とは格がちがう。もっとリスペクトされて良い選手だ。
《関連》
(※1)http://eiyu-retuden.seesaa.net/article/411048978.html
(※2)http://eiyu-retuden.seesaa.net/article/179592931.html