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【長嶋一茂について想う&「天才打者」来たる】エースのやきう日誌 《2019年2月9日版》

バラエティーにコメンテーター、CMでは人気女優と共演‥‥。テレビで見かけない日の方が少ない売れっ子カズシゲ。平成10年生まれの広瀬すずが知るわけもない、元プロ野球選手という事実‥‥。長嶋一茂(53)氏のことである。

 

 

お父さんとちがい、野球の方はパッとしなかったけれども、“出たがり”の気があるのは、やはり遺伝からくる天性のものなのだろうか。一時期、ちょうど貴方が読売の人たちと上手くいっていなかったころ、日ハムへのトレード話が持ち上がったことがある(人的保障候補だったか)

 

実現はしなかったが、ちょっと見てみたかった。お父さんには過去、監督就任要請を断られていた経緯もある、日本ハム・長嶋を――

 

「巨人OB」の肩書は、たしかに捨てがたい。今日のカズシゲがあるのは、そういった部分も大きかったと思うが、万が一、貴方が野球で活躍するならば、人気者には優しいパ・リーグに居た方が良かった気がしないでもない。

 

そういえば、映画【ポストマン】で“ガチ演技”をしていた貴方。興行収入が芳しくなく、制作会社が潰れてしまったという、いわく付きの作品‥。でも、チャリンコをこいでいるシーンは、さすがに元アスリートっぽく、様になっていてかっこよかった。

お父さんの世代に近いうちの父も生前『ミスターより男前』と、よく褒めていたっけ。まだ貴方が野球選手だった頃の話だ。

 

 

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連載企画【私と平成ハム8】

 

◇天才打者「最後の2シーズン」

 

 

1996年のオフ。まさか巨人から、あの男がハムにやってくるとは思わなかった.......

 

三冠王を三度も獲得した大打者・落合博満である。

‥‥ありえない。が、当時の率直な感想だった。清原の巨人入団でポジションが被るとはいえ、同年は打率3割、ホームランも20本以上打っている。戦力外なら解かるけれど、まだ「ヤレル」選手が“あえて”日ハム行きを選択する‥‥そんな発想は、ファンの私とて、ありえなかったのだ。誰がどう考えても、ヤクルトの方を選ぶだろうと(この2球団が落合獲得に名乗りをあげていた)

 

複数年契約に、年俸3億円。巨人時代ともそん色ないハム側の提示と、球団をあげての誠意に、トリプルクラウンの心はグラリと傾く。

 

『自分を高く買ってくれるところに行くのはプロなら当然のこと』

 

晴れて入団発表の際、上田監督とともに同席していた大社オーナーの嬉しそうな顔が忘れられない。96年のファイターズは2位‥。落合の加入で優勝できる戦力は整った。オーナーならずとも、あのとき、多くのファン、関係者がバラ色の未来を夢見ていたに違いない......

 

ロッテとの開幕戦には福嗣クンも来場

不敗人生―43歳からの挑戦

 

 

翌年、当事者側にとっては、なんとも皮肉すぎる結果となった。

落合を出し、清原を獲った巨人は4位。清原に出ていかれた西武は優勝。落合を獲得したファイターズも4位。‥落合を逃し“代わりに”「5番一塁」に入ったヤクルトの小早川毅彦が、開幕戦で爆発。その勢いのまま、最後は日本一となった。

 

1997年の落合。2割6分2厘という打率はまだしも、ホームランは3本にまで“激減”。主軸を務めながら、打点43も、いささか寂しい。落合は44歳を迎えるシーズンで、その年齢面を考慮すれば、たしかに『さすが』となるのだが、上記の成績では、チームを上位に押し上げるまでにはならなかった。当然、オフには“戦犯”のようにも扱われ――

 

今になって私が感じるのは、巨人が「メークミラクル」で沸いた前年の夏場。死球で負った手首の骨折。それがまだ十分に治りきっていなかったのではないか。同じ東京ドームを本拠地としながら極端に減らした本塁打の数‥。そのあたりも、要因のひとつとしてあったと思う。

 

これは“良いほうの皮肉”と言えるかもしれない。落合を師事していた上田佳範が同年、はじめて規定打席に達し、打率3割をマーク。早々と師匠の数字を越してしまった。試合中、上田を連れ立ってベンチ奥へと消えていくシーンを何度も見かけた。たしかな「指導力」は、もう当時から有していたのかもしれない。

球団をまたがって、のちのちまで関係が続く、ガッツこと小笠原道大は新人で、一塁の守備に就く落合のグローブ“受け渡し係”を担っていた。偉大な選手の背中を見て学べたことも、彼には多かっただろう。

 

 

ファイターズ時代の背番号「3」は、似合っていなかったというより、多少の違和感があった。落合といえば、やはり「6」のイメージで長年定着していたから。いきなりチーム1の高給取りとなった選手に対し、やっかみの声が多かったのも事実だ。

年俸3億‥‥背番号3‥‥盗塁3。別種の『トリプルスリーではないか』、そんな口の悪い同僚もいたが、それもあの成績では致し方なかった。

 

2年目の98年に現役引退。もはや控えに回る日も少なくなかった落合、45の歳。優勝争いをしていた終盤戦に、代打でも何でもいいから戦力となって、経験に乏しい若いチームを救ってほしかった。‥そこだけが、わずかに悔やまれる。

(つづく)

 

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