生憎連続テレビ小説は視ていないのだが、話ではよく訊いている。
キャラが親しみやすかったり、あるいは美男美女の人物が物語の展開によって登場してこなくなると「〇〇ロス」‥巷ではそんなふうに言われているそうだ。少し前に「ましゃロス」(福山雅治)というのがあったけれど、まぁアレと同じようなものだろう。
我々のごく身近なところでは「ペットロス」がある。長年溺愛したペットを失った哀しみから脱却することができない‥。かつて、筆者の周りにもそういった女性がいた。毎日決まった時間になると餌箱に餌をあけ、水を取り替える。ある日には、私に解らない何らかの“会話”も交わしていた。
あたかも、そこにまだ居るかのように振舞うことで哀しみを和らげている‥という見方もできたし、彼女の場合、単にそれがルーティンのごとく「日課」となっていただけなのかもしれない。
‥いや、もうひとつの可能性が考えられた。
ひょっとしたら、彼女はその事実を理解していない‥‥つまり、ペットの死を受け入れられていないのではないか。
もし、そうであったなら、とても哀しいことだ。
ただ、あくまで“傍からみれば”の話で、当人にとっては不幸ではない。彼女の中で、ちゃんとペットは存在していて、いまも元気に生きているものだと、信じこんでいるのだから――
これは当然、人間にも置き換えられることで「依存」をしてしまうのは、なんとなくだが、女性の方に多い気がする。‥秀逸なタイトルに惹かれて手に取った、主人公が女の【バニー・レークは行方不明】も、いささかそれに近いストーリーではあった。
1966年公開のイギリス映画。キャロル・リンレー主演。
4歳になる娘のバニーと、母親のアン・レイク。そしてアンの兄・スティーヴン・レイク。最初は彼がまるでアンの夫のようにしか見えない。‥あらためて見返してみると、この箇所もわりと重要なポイントではあった。
引っ越し初日、あらたに通う保育園に娘を預けに行ったアン。しかし、迎えにいくと、娘がいない。それどころがバニーを目撃した人物すら、どこにもいない。
彼女には幼いころから「妄想癖」のようなものがあったというスティーヴン。捜索にあたっていた警察も、次第に彼女の病気と、バニーの“存在”そのものを疑いだす。端から娘なんていないのでは‥‥。
誰もバニーの姿を見かけていないのだから、それも「やむなし」といったところだが、母親のアンだけは頑なに娘の存在を信じている。はたしてバニーはどこへ行ったのか‥そもそも、バニー・レークは本当に存在しているのか.......
予想外の結末だった。
というよりも、当作品を何の情報も持たずに観賞したら、おそらく多くの人が“警察寄り”になってしまうと思う。作品自体が、そのように見せているのだ。‥現実に、われわれ視聴者だってバニーの姿は道中、一切目にしていない。存在を信じるなと、向こうが一方的に訴えてきているのだ。
しかしまぁ、そのまま真っすぐにはいかないのが、長編作品の常であって(笑)。意外な人物が物語の鍵を握っている。そして、この人物の豹変ぶりに、あなたも驚くかもしれない‥とだけ、今ここでは書いておこう。
『バニー』と、愛娘の名前を呼び探し続けるキャロル・リンレーの声がツボだった。しばらくの間、私の脳内に木霊していた、彼女の特徴的な声‥。聴けば解かる。「バニー・ロス」必至。