センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

【超特急で送る「世界の誌面」から】エースのやきう日誌 《2019年2月27日版》

遅くなってすまないが、先週号の新潮(※1)、フォトグラビアを飾っていた【輝星サマの御成ーりー】が最高だった。

 

 

宿舎まで1.5キロの道のりを徒歩で帰った、半地ゆうひ橋を渡る吉田輝星を収めた一枚。‥ちょっと現物はお見せできないのだが、機会があればぜひご覧になっていただきたい。

吉田輝に続いたファンの一群が列をなして「行進」をする様‥。どこか~で同じ光景を見た覚えがあると思ったら、アレだ。長澤まさみ軍率いるKubota!のCM。‥ひとつ違うのは、ウキウキなファンの中に紛れ込んだ柿木蓮が、若干鬱そうな表情を浮かべていた点か。

 

risingham.hatenadiary.com

 

しかし、その柿木。首脳陣の間ではずいぶんと評価が高いようで‥。一部では『案外、吉田よりも一軍デビューは早いのでは?』そういった声もある。当該記事の締め方が抜群に上手かった。その箇所だけ引用させてもらって次の話題へ移ろう。

 

ファンの数では水があく吉田と柿木。一軍のマウンドに続く一本橋を渡りきるまでに“下克上”だって大いにあり得る

 

 

◇ファイターズのキング?

 

松坂大輔の故障については、私もいろいろ思うところがあるが、今回は控えておく。‥それよりも、門田博光の「ハイタッチ事件」がよく引き合いに出されていた点。ブーマーとの間で起こったあの“事故”、平成元年だったのか‥。もっと昔に感じた。

考えてみたら平成初期の頃は、門田とか村田兆治とかが、まだ現役でいたんだもんなぁ。先日放送の【サンデースポーツ】、平成の相撲史を辿る企画にあった「千代の富士vs貴花田」ではないけれど、プロ野球にも「野茂vs門田」「清原vs村田」といった、昭和を彩ってきた選手と平成ニュースターとの対戦が、また一つの売り物となっていたのを思い出す。

そうそう。門田といえば‥‥ブルーサンダー打線のトップバッターを担っていた松永浩美(58)。お子様が誕生したそうで。男・マツナガ未だ現役‥‥。『おめでとうございます』の言葉とともに、山本昌に代わる中年の星の称号を、ぜひ貴方に贈らせていただきたい。

 

 

本格派コスチューム 狩衣(かりぎぬ)平安時代コスチューム お祭り衣装 舞台衣装 陰陽師

画像はイメージ

 

 

週刊ベースボール(※2)では、大島康徳氏がファイターズの監督に就任してから初めて臨んだドラフト回顧。

その1999年度のドラフト会議は、筆者にとっても印象深かった。甲子園優勝投手の正田樹に、ファイターズが久々にクジを引き当てた田中賢介。そして、東大クンこと遠藤良平と‥‥大島氏もここまでは触れていたのだが、もうひとり、あの選手をお忘れなんでないかい?

 

神島崇ダヨ

 

実家が神社で、お父上が神主だったという‥‥。今、立派に継いでいるそうではないか。ドラフト当時もけっこう話題になっていた。これは神島だけでなく、あの頃は実家が畳屋の選手だったり、元フリーターの選手だとか、そういうネタ?がやたらに多かった気も。‥どうりで弱かったわけだね(苦笑)

 

下の記事中にある、最初で最後の登板。‥そう、神島は抑えたんだけど、同日投げた、やはり初登板の遠藤はアウトを取れず。本当は打ち取った打球だったんだけどね。サードのOがもたついてしまって(笑)

 

プロ野球選手から神主に転身し“全力投球” 元日本ハム・神島崇さんが語る意外な共通点 : スポーツ報知

 

他では3位の吉崎勝。彼もミキハウスにいたことで、当時同社と専属契約を結んでいた福原愛とセットで売り出そうか?なんて話もあったし、あとは何といっても「あっち向いて投法」だよね。思っていたより流行らなかったけど‥。4位で高松西高入った佐々木貴賀は、絵描きとしてもファンの間で人気があった。

 

本当に個性豊かだった99年組。おもしろいのは、このドラフトで指名された投手が全員左腕だったこと。なんとなく当時のチーム状況が窺い知れるだろう。

 

 

《参考》

(※1)週刊新潮 2019年 2/28 号 [雑誌]

(※2)週刊ベースボール 2019年 3/4 号 特集:ROOKIES! 2019 12球団全新人104選手完全CHECK

 

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