センテンス・オータム

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【愉しいビデオ判定講座&ダルビッシュー!!】エースのやきう映画日誌 《2019年3月1日版》

三井住友海上のコマーシャルが好きだ――

 

 

交差点で起きた交通事故。どちらの車に過失があったのか、どこからか現れた審判‥らしき人物が「ビデオ判定」でジャッジするというもの。アイデアも秀逸なうえ、これに出演している清野菜名の“アピール”の仕方が実にコミカルな動きをしていて、おもしろいのだ。

 

でっしょ~


【CM】三井住友海上 GK

 

 

先のサッカー「アジアカップ」でも、ビデオ判定によって明暗を分けた試合がいくつかあった。サッカーではVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)などとも呼んでいるそうだが、昨年から導入された野球界でも、シーズンの後半頃には、もうずいぶんと定着していた感がある。リクエスト要求の際に用いられる、ジェスチャーでテレビモニターを真似たあのポーズも、いつの間にか監督たちの間で浸透していた。

 

一方でビデオ判定に時間がかかりすぎたり、更なる誤審を生んだ悲劇、トラブルも。‥まだ問題点は多そうだけれど、ネットなどで反応を見るかぎり、野球ファンの間ではおおむね好意的に受け止められているようだ。

体に当たった、当たらないでビデオ判定となった杉谷拳士死球‥‥‥。三井住友海上かっ? ‥どうせやるなら、清野菜名ばりにもっと派手にやらんかいw

 

 

risingham.hatenadiary.com

 

 

◇ファイターズの映画に‥‥

 

現在、日刊スポーツ紙上で連載中の【野球の国から 平成野球史編】。これに近鉄を含む全13球団の平成時代にあげた成績(18シーズンまで)が掲載されていて興味深かった。

北海道日本ハムファイターズは1989年‥つまり、平成元年からの成績はトータル「2007勝2026敗96引分け」で、13球団中7位。複数回優勝をはたしており、負け越していたのは意外だった。そこで筆者は、平成でも“北海道移転後”に限定して算出。すると、驚くべき数字がはじき出された。

2004年以降の通算成績、1101勝980敗48引分け‥‥。移転後だけで実に「121」もの貯金を稼いでいたのだ。

 

なんと、幸せな道産子ファイターズファンたちよ。そして、なんと哀しき東京ドーム時代のファイターズファンたちよ(苦笑)。北海道に来るまで、いかに借金を積み重ねていたのかが解かる数字と相成った。

そんな暗黒期を終え、常勝軍団にまで上りつめた北海道日本ハムファイターズの軌跡を収めた映画【FIGHTERS THE MOVIE Challenge with Dream】を視聴。上映中、どんなイイ映画を観ても泣けなかった私が、不覚にも“ガチ泣き”してしまう。その涙の理由(わけ)とは――

 

 

ご飯三杯はイケる

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ダルビッシュ有‥‥。最高の投手だった。

 

『コイツに任せておけば大丈夫』。彼が投げる試合、まったく敗ける気はしなかった。ダルビッシュと出合い「真のエース」というものを、私は初めて知れた。しかも、松坂とか上原浩治どころの騒ぎではない。次元の異なる超エースである。

ファイターズでは愉しい思い出しかなかったと語るダルビッシュ。その言葉、そのまま貴方にお返ししたい。海を渡るまで過ごした北海道での7年間は、私たちファンも、幸福な時間だった。入団当初にあった“つまづき”ですらも、今では愛おしい。すべての出来事が超エースとなるためのプロセス‥‥スクリーンに映し出される若き日のダルビッシュを眺めながら、そんなふうに思えてならなかった。

バッテリーを組んできた女房役・鶴岡慎也の証言は、コミカルにも映った当時の頃の記憶が甦る。硬派なドキュメンタリー映画にも拘わらず、観客の笑いを誘っていた鶴岡。‥相変わらず稀有なキャラだ(本人はいたって真面目なところがw)

 

 

他にも大谷翔平の二刀流誕生秘話、宮西尚生のドラフトにまつわる話。OBや元監督のトレイ・ヒルマン(だいぶ痩せていたけど平気か)による、移転直後の苦労話にも時間を割いている。

‥この映画はファンもそうだが、以上に、新人や今後入ってくる選手に、ぜひ観てもらいたい。そういう作りだった。北海道日本ハムファイターズという球団がいかにして形成され、偉大な選手がこれほど多く在籍していたのを、それまでファイターズに関心がなかったアマチュアの選手にも認識してもらえる。

 

ガラガラを予想していたのに、関東地方では公開最終日だったせいか、館内は想像以上の人出。同じ方向を見ている観覧者たちと過ごした空間は、妙に心地よかった。ファイターズを愛すファンが、北海道以外にも大勢いることをあらためて知って、また泣いた。

 

 

最後にひとつだけ不満?を書かせてもらえば「梨田時代」が少なかったのを訝しげに思うファンの声があったのと(おかげで同時期に活躍した小谷野栄一高橋信二らの映像がほとんどなし)中田翔が『ファイターズ史上もっとも愛される4番バッター』と評されていた点。

 

‥‥そ、そうだったのか中田サン。これを聴いて、知人に多い東京在住の田中幸雄氏のファン方が泣いていたのは言うまでもない。

 

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