成功を収めたほんの一握りの俳優やら、スポーツ選手だかが口にするセリフに、よくこういったものがある。
『〇〇をやっていなかった自分が想像もできない』
『〇〇に出合っていなかったら、今の自分はなかった』
その〇〇に当てはまるのが仕事とか趣味だったり、あるいは恩師や恋人のようなヒトであったりするのだけれども、この〇〇が判らず‥出逢えずに、けっきょく“何者にもなれなかったバージョン”が今の俺だ(笑)。もっとも、そうした筆者タイプの人間の方が多いから、より彼らが映えるという図式が成り立つのだが。
〇〇と出合えた人は、誠に幸運。神から与えられた最大のギフトといっていいだろう。たとえば野球のイチロー選手などが解かりやすい。父親の影響から野球を始めたのは宿命であったとしても、「イチロー」と命名した仰木監督との出会いが後になければ、今日の彼はなかった。
ミッキー・ローク主演の映画【レスラー】を観ながら、ふとそんなコトを考えさせられた。
プロレスラーという職と出合い、名声を得た彼は幸運だったが、劇中描かれているのは「その後」の話である。生活のため“仕方なく”別の仕事に就いても、生来、不器用な男。上手に立ち回れず、職場の上司からは常に厄介者扱いされていた......
当作品、プロレスが苦手な方でも愉しめる。第一、元人気レスラー・ランディ(ローク)が、スーパーの店員として食い繋いでいたなんて、かなりリアルではないか。東山紀之のナレーションで送られる、どこかのドキュメンタリー番組よりも、よほど現実的だ(笑)。そして、嘘か誠か、試合の舞台裏(演出面)や屈強な肉体の作り方なども、劇中で細かく明かされている。
さらに、プロレス以外の、ランディを取り巻く人間模様も味があっていい。家族はなく、唯一の肉親である娘に対しては『俺を嫌わないでくれ』と、泣き出す始末。孤独なランディの、救いとなっていたのはストリッパーのキャシディだけという、いっそうの場末感。病によって試合が叶わなくなったランディは、ますます嬢に依存するようになっていくが‥。
我慢が限界を迎え、スーパーの店内で大暴れしてしまう。いよいよ帰るところも‥頼る人もいなくなったランディは、そこでようやく「確信」した。周囲の反対を押し切り、返り咲いたリング上で、それは彼の口から語られる。
俺にはプロレスしかない――
ことごとく“現実”が映し出され、総体的にみれば悲惨なストーリーではあった。しかし、ランディにとってのプロレスのように『〇〇がなければ俺が俺ではなくなる』といった、その対象が確とある生き方は、やはり羨望なのである。たとえその身を削ってまで夢中になれる何か‥‥貴方にはあるだろうか。
ミッキー・ローク。個人的には調子のいい探偵に扮した【エンゼル・ハート】以来だった。長髪のせいもあってか、あまりに変化した容貌に驚く。競演していた本職のレスラーと比べても遜色ない、鍛え抜かれた肉体はさすがの一言。2009年公開(日本)のアメリカ映画、ダーレン・アロノフスキー監督。
9:51から