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【DreamPark 野球場へゆかない?人&「松本剛」的新提案】エースのやきう日誌 《2020年2月27日版》

ぶっちゃけ、テレビ(ネット)観戦の方が愉しい――

 

 

これ、あまり公の場所では口にしないのだが、今明かした。

だってほら、ほぼ100%の人は「生観戦」を推奨するじゃない? 生(ライブ)の迫力は、やっぱり違うよ~みたいな。そこで『いや、俺はテレビの方がいいんだ。絶対・自宅派!』なんて口にしようものなら、かなりの確率で偏人に見られる。一応、空気を読んでその場は同調するのだけれど、生が良かったなんて、これまでほとんど感じたことはない。

 

イメージ的に暗いし、入場料収入に貢献できていない後ろめたさは、私もイチ野球ファンとして多少ある。だが、ここまで多くの試合をテレビ観戦に費やしてきたのは、ちゃんとワケがあり、その辺の話を今からしてみたいと思う。

 

 

日本野球機構オフィシャルソング Dream Park~野球場へゆこう~

 (C)amazon

 

 

第一に、スタンド観戦は見づらい。席にも依るのだろうが、ピッチャーが打者に投げたコース、球種までは生だと、なかなか判別できない。ベンチ内の選手・監督はもちろん、プレーヤーの表情もスタンドからは窺い知れない(双眼鏡を使えアホンダラ!とか、そういうツッコミはやめてね)

第二に、テレビ観戦は落ち着く。他の観客に気を取られることなく、目の前のゲームだけに集中できる。これは別に、いちゃつくカップルが近くにいたとか、やたら声のデカいヤジ将軍と席が隣になってしまっただの、そんな単純なことではなくて「大観衆」に未だ慣れていないという致命的欠陥。

とりわけ観客席ガラガラのパ・リーグ時代を知る、観てきた筆者世代にとっては顕著な問題。‥‥時効だから明かすけれど、あの頃は実質「全席自由」だった。荷物置き場の確保(隣の席)、トイレなど席を立つ際の移動も自由自在。その点、現代は非常に窮屈のように感じる。まぁ、慣れの問題なのかもしれないが。

第三に、テレビ観戦は勉強になる。やはり、解説者付きは大きい。プロの目線で見た確かな情報に基づき、ここでの執筆に役立てたりもしている。豊富な野球知識も身につく。

勉強になる以外に、たとえば筆者が愛聴するGAORA解説陣は誠に愉しい人材が多い。選手の素顔やプライベート情報も包み隠さずに教示してくれる。別途お金を払ってでも聴きたいくらいだ。

 

 

駆け足で挙げてみたが、どうだろう‥‥。結構いいことだらけではないか? インドア観戦は悪いものじゃあない。今季開催されるオープン戦は全て無観客試合と聴いた。こんな今だからこそ、自宅あるいはお手元のスマホで、純に野球というスポーツを堪能してみてはいかがだろうか。きっと、また新たな気付きがあるはずだ。

 

www.chunichi.co.jp

 

 

◇選手表記名について

 

 

「松本」「渡辺」「清水」......

 

オープン戦の模様を伝える新聞記事を眺めていても、一瞬ピンとこない。自分はファイターズびいきだから、すぐに顔を思い出すことができるだのけれど、他球団のファンだと、なかなかそうはならないのではないか。

この場合、たとえ同じ苗字の選手がいなかったとしても「松本剛」「渡邊諒」「清水優」と表記されていれば、より解りやすくなるのに、と思う。自ずと球場でのコールの仕方もフルネームで。彼らのごとく、国内で多く見られる苗字の選手は、できればそうした方がいい。

 

以前、ファイターズに「田中姓」が複数名在籍していたシーズンがあり、そのときは【田中幸】【田中富】【田中雄】。もちろん、選手をきちんと区別するためではあったが、タナカユキ…… タナカトミ…… タナカ オ? それもまた一つの「個性」のようにも感じられたし、何より覚えやすかった。

 

意識していたかどうかは定かでないが、後年チームに加わった田中賢介も引退まで「田中賢」で通していたし、長らく彼と二遊間を組んだ「金子誠」のフルネーム表記も、個人的には好きだった(入団時に金子姓の選手が他にいたのもある)

型にハマらず、そこは柔軟に対応して、ブレイク前夜の若い選手が、いち早く全国の野球ファンたちに認知されることを願う。

 

 

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