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【「回顧企画」ズバリ!理想のエースとは ※閲覧注意】酔っ払い親父のやきう日誌 《2020年5月02日版》

さすがは我らの片岡篤史‥‥この男がコロナに敗けるわけがない。

 

 

祝退院。さっそくYouTubeチャンネルを覗いてみると、満足に食事すらできない日もあったらしく、またアビガンの集中投薬のせいか、幾分痩せては見えたけれども、以前とあまり変わりなかった。一安心。

 

YouTubeといえば、あいにくオンライン飲み会をする相手もいないw、絶賛ステイホーム中の筆者も、暇さえあればアクセスしている。最近、個人的に「興奮」したのは、主に1990年代の、西武ライオンズさんの優勝決定(胴上げ)試合を収めた動画。‥こんな世の中なのだし、固いことは抜きでいこう(苦笑)

 

それらの動画が秀逸で、なにせ1試合まるまる網羅。‥憎き獅子の優勝に、なぜ筆者が「興奮」したのかといえば、その多くが対日本ハム戦だったからである。どちらかといえば「不名誉」な形ながら、くだりの片岡のルーキー時代を拝めたり、大島康徳の乱闘・未遂事件に出くわしたりと、得るものの方が多かった。

 

 

あらためて振り返ってみて思ったのは、西崎幸広なぁ‥‥。

まがりなりにも「エース」と称されていた男。その大一番に2年続けて先発登板し、1991年は2回途中6失点‥‥翌年は、なんと1回持たず、7失点KO。もはや味方の援護どうのの話ではない。完全に彼の自滅だ。おかげでチームは大敗を喫し、まったく緊張感を生まぬ胴上げシーンを演出。

 

 

Number (ナンバー) 215 1989年3月20日号

(C)amazon

 

オフの契約更改でゴネる印象があったけれど、球団側だって、そうした勝負どころでのモロさ・ひ弱さを見てたんじゃないの? ‥さらに付け加えるなら、93年の西武との天王山においても、初回降板していたから(この時はアクシデントだが)。この辺りがシーズン中はパッとしなくても、日本シリーズの大舞台で快投を披露する相手エース・渡辺久信との大きな違いだったり.......

 

この男に任せておけば大丈夫‥‥。そんな「真のエース」を、私はダルビッシュ有の代でようやく、初体験させてもらった。むろん西崎のあと、エースと呼ばれていた岩本勉は論外(苦笑)。彼は西崎以上に勝負弱かった《つづく》

 

 

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