センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

【GAORA便乗企画「2004」シーズンぶった斬り】酔っ払い親父のやきう日誌 《2020年5月19日版》

先日のGAORAスポーツ、ファイターズの北海道移転元年「2004年」を振り返る企画がよかった。

 

 

特に印象的だった4試合を、実際の中継を観るように近藤祐司アナと田中幸雄岩本勉両解説者が語り合うというもの。

プレーオフ敗退ながら、同年はアメリカ帰りの新庄剛志入団イヤーにもあたり、沸いた一年だった。彼が打席に立つたび、筆者もワクワクして見守っていたのを思い出す。放送で触れることのなかった思い出話をイチ・ファン目線で今回、誰にも忖度なしで?少々語ってみたい。

 

 

《2004年4月2日 北海道日本ハムvs西武》

 

札幌ドームで行われた、記念すべき初のホーム開幕戦。あらためて当時のデータを確認したら、観衆の数35000人。‥とすると実数でカウントされていれば(翌シーズンから実施)、実際の人数は、これより1万人弱程度減るかもしれない。ファイターズに対する、当時の北海道民の「熱量」を窺い知れる。

相手は、西武と日本のエース・松坂大輔。迎え撃つ、金村曉。‥‥金村。いたなぁ。4年連続二ケタ勝利は、評価できる。けれども2年後の「采配批判」で晩節を汚してしまった。球団史の類で、カネムラの名があまり登場してこないのも、おそらくそのため。高い能力を持っていただけに、私としても残念だ(放送でも『なまら最高!』の絶叫シーンはカット』)

完投するも、この試合で敗戦投手となった松坂。余談として彼は、翌年誕生した新球団・楽天イーグルスのホーム開幕戦でも敗れている。さすがは平成の怪物。周囲の「空気」を読む能力にも長けた投手である。

 

 

《2004年4月17日 北海道日本ハムvs千葉ロッテ

 

in東京ドーム。筆者もこの試合は「生観戦」していた。90年代後期を代表する投手、ジョニー黒木岩本勉の投げ合いもあってか、ドーム内は大盛況。おかげで入場するのにも苦労した記憶。

ジョニーとの投げ合いを制し、復活勝利をあげた岩本。放送では代名詞である『まいど!』の壇上雄叫び付き。‥本人を含め、誰も言及していなかったけれど、しかし、まさか同年この1勝のみで終わるとは。

通算成績も負け越し。でも前述の金村より、彼からは球団への「愛」がいつも感じられた。だから、こうして現在もファイターズに関わる仕事にありつけているのではないか。

 

 

ガンちゃんのファイターズ選手のスゴいい話

(C)amazon

 

 

《2004年9月20日 北海道日本ハムvs福岡ダイエー

 

プロ野球史上初のストライキ明け、SHINJOらが扮する「ゴレンジャー」から始まった試合は語り草だ。たしか私は当時、モバイル版の球団公式サイトで追っていて『SHINJOの満塁サヨナラホームラン!16‐12でファイターズの勝利!』の速報に歓喜していたら、いつの間にか【13‐12】にスコアが訂正されていた。‥‥いったい「現場」で何が起きているのかと、しばらく気が気でなかった(苦笑)

当時の模様を、結果的にSHINJOが放ったホームランを無効とさせてしまう田中御大自らに「解説」させるとは、なかなかにGAORAも鬼(笑)

 

それにしても、この頃のドームの盛り上がり方は、ちょっと尋常でない。今では考えられない?選手ひとりひとりに大声援が送られている。‥憶えているのは、ホークスの捕手・城島健司が熱狂的で知られる『福岡ドーム(当時)の歓声よりも凄かった』 そんな類の発言をしていたこと。このとき、あらためてファイターズが北海道に行ったのは間違いではなかったと確信する。

 

 

《2004年9月21日 北海道日本ハムvs福岡ダイエー

 

前日の興奮冷めやらぬ札幌ドーム。首位ホークス相手に連勝して、プレーオフ進出をグッと手繰り寄せた。決勝点は、またしてもSHINJOのバットから。やはり、お客の「ツボ」を解っている。そして画面には、カルロス・ミラバルの雄姿も‥‥。

懐かしき助っ人投手。同時期、突如エース格にのし上がってきたという印象で、後の西武とのプレーオフでも勝利投手。2004年終盤「投」の主役は、確かにこの男だった。

 

 

 《参考》

risingham.hatenadiary.com

 

にほんブログ村 ニュースブログへ