侍ジャパンが三連覇へと向け、順調に突き進む東京ドーム。
その熱狂の檻の中で、ひとりだけ、流れる時間の速さが違う男がいた。打席に立った瞬間に空気が冷え、マウンドの緊張が一段階跳ね上がる。李政厚。かつて名古屋のファンが「風の息子」と呼んだ李鍾範の血を引きながら、その息子はすでに、風そのものになろうとしていた――
日本において「親子二代の成功」は、時に残酷な呪縛となる。つい先日、WBC特番に出演した落合博満も苦笑しながら口にしていたが、長嶋茂雄という巨大な太陽の影で苦悩した一茂のように、偉大すぎる父を持つ者は、その比較という名の濁流に飲み込まれがちだ。だが、李政厚にその陰りはない。韓国で「安打製造機」として君臨し、さらには海を越え、メジャーの舞台でシュアな打撃を披露するその姿は、あまりに眩しい。
彼のスイングがこれほど眩しく映るのは、単にその技術の高さゆえではない。背景にあるのは、近年、劇的な転換を見せた日韓関係の「凪」だ。
高市早苗総理就任以後、歴史の荒波に翻弄されてきた両国は、現実的なパートナーシップという名の新しい海図を広げた。以前の、どこかピリついていた空気とは違う。今、東京ドームに流れているのは、互いの異能を純粋に認め合える、清々しいまでの「和解の風」なのだ。
(C)amazon 竜時代「韓国のイチロー」の異名も
日本では依然として「父子鷹」のハードルは高い。偉大すぎる父を持つ呪縛‥‥。それを李政厚は、韓国という枠すら飛び越え、サンフランシスコの地で証明し続けている。
時代は変わった。政治が風向きを変え、若き異能が境界線を溶かしていく。父の「風の息子」に対し「風の孫」とも呼ばれる李政厚が侍ジャパン戦で放った一打は、もはや敵対の狼煙ではない。それは、新しい時代を共に駆ける「戦友」の挨拶のようにすら聞こえた。
「風」は、形を変えて今も我々の空を吹き抜けている。WBC準々決勝へと駒を進め、熱狂を繋ぐ韓国代表。その中心にいる「風の孫」を見つめながら、筆者はふと、現在公開中の映画【奇跡のバックホーム】に思いを馳せた。
父・真之の背中を追い、病魔と闘いながら、プロ野球選手として最後の試合で見せた、あの奇跡のワンプレー。故・横田慎太郎。‥日本と韓国。形は違えど、そこにあるのは、父から子へと受け継がれた「野球への純粋な愛」。あまりにも気高い結晶だ。李政厚の快進撃を祝しつつ、今は亡き若き虎戦士へも、静かに祈りを捧げたい。
アジアの空は、切ないほどに晴れ渡っている。
