もっと他の事象についても触れてみたいのだが、こう、ひいき球団の調子が良いと、野球ことについて書かずにいられなくなる性分だ。
辞書によると「性分」とは、【生まれつきの性質・天性】とある。‥なるほどその通りだ。誰かに頼まれているわけでもないのに、本業が始まる午前までを勝手に“締め切り”と設定。最低1000文字以上のノルマを自らに課し、せっせとキーボードを叩く‥‥まるで売れっ子作家”もどき”のような日々を送っている。これを性分と呼ばずして、何て呼ぶ。
しかし、そんな毎日を、私はとても幸せに感じているのだ。商業作家には、それなりに苦悩もあるのだろうが、ノーギャラ作家にはそういったこともない。好きな野球チームについてただ語り、ときには叱咤、またあるときには監督になったつもりで「編成」に思考を張り巡らしたりもする‥‥。つくづく自分は『野球とともに生きているのだなぁ』と、つい最近も実感した次第。
「野球人間」といえば、SMAPの中居正広。彼も芸能界では相当な“通”として知られているうちのひとり。今年になって「週刊ベースボール」誌上でコラムの連載が始まったのだが、最新のものが、なんだか微笑ましかった。
そこには自らが、いかに“野球漬け”の毎日を、幼少の頃から過ごしてきたかが記されていた。なかでも巨人戦のテレビ中継が始まる19時までを、ラジオで繋いでいた‥というエピソード。『あぁ‥あの頃我が家もそうだっけ』と、懐かしい記憶が甦った。
もっとも我が家は「パ・リーグびいき」であったから、文化放送のライオンズ戦が絶え間なく流されていたのだが、ちょうど今くらいの時期‥‥。窓を全開にして聴いているものだから、中川充四郎とか斉藤一美の絶叫が近所に”ダダ漏れ”となって、少し恥ずかしかった。折しも、ライオンズ全盛時代のとき....
中居家にとっての「巨人戦」がそうであったように、我が家でもそれが日常であった。当時は、もちろん何とも思わなかったけれど、家族集まって、一台のラジオに耳を傾け想像し、試合内容に一喜一憂する‥‥この何でもない日常が『なんて幸せな日々だったのだろう』 今になって‥私も大人になってみて、しみじみと感じた。
もう、あの幸せだった日々には、帰れない。気づいたときには遅かった。
‥だが往々にして、人の本当の幸せなんて、そのときは気づかぬような、ありふれた日常の中にあるのかもしれない。
今日もせっせと、私はブログエントリーを綴っているーー