センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

ディズニーランド My今昔物語

わたくしにジャングルクルーズのお兄さんをやらせてください!

 

 

今おもうと‥文字にして改めてみると、何ともガキっぽく、赤面しそうになるが、僕の判断は、あながち間違ってもいなかったと感じる。就職活動たるもの‥人事担当者に他者にはない個性、強力なインパクトを与えてこそ「道は開ける」のだと、信じているから。

 

‥というわけで、コレ“実話”である。しかも、アルバイトではない。学生時代に本気(ガチ)でディズニーランドを運営するオリエンタルランド社にエントリーしたのだ。ガキの頃に初めて聖地に降り立ったときの、あの感動。

まだ幼い僕には、キャストの彼らが芸能人のようにまぶしかった。とりわけ妙に芝居がかったジャングルの中で働くお兄さんに憧れていたのは、事実なんである。

漠然と『自分も人に感動を与えられる仕事がしたい!』そう思った。この想いを叶えるには、ココしかないーー

 

 

東京ディズニーリゾート アトラクションガイドブック 2014-2015 (My Tokyo Disney Resort)

 

 

結果は、もちろん不採用。今日に至る。以来15年近く‥‥舞浜へは一度も行ったことがなく、のちに完成したディズニーシーが、どんなところなのかも僕には判らない。ガチだっただけに、ディズニーランドで働くという道を完全に絶たれてしまったショック、ダメージが想像以上に大きく、トラウマとなって焼き付いていた。

 


もう二度と行ってなるものか。いつかビッグになって採らなかったことを後悔させてやる!と、上京したての田舎者のごとく意気込んでみたものの‥見返すどころか、あいにく現在の僕は「イッツ・ア・スモールサラリーマン」。体たらく。

 

お近く、幕張の野球場へ行く際、自ずと京葉線車内から覗ける「ビッグサンダー・マウンテン」の山々を、毎度、憎々しい思いをしながら見ていた。本来なら今頃あそこで‥子供たちに感動を‥。

その当時の恋人たちに何度かディズニー行きを催促されたこともあるが、僕は頑なに拒んだ。『富士急の方がいいんじゃね?そっちの方が混まないし待たないし、シゲキもあるし?ほんとオススメなんだ』 そう、もちろん真実は伏せて。

 

 


だが、あれほど頑なだった僕の“決意”が、近年だいぶ揺らいでしまう。「転機」となった、ふたつの要因。一つめは松岡圭祐著【ミッキーマウスの憂鬱 (新潮文庫)】という書物に出合ったことも大きい。ディズニーランドでアルバイトの体験をした、架空の人物の話。王国の舞台裏が、おぼろげに浮かび上がってくる。

 

あそこは「働く」ところではなく、遊びに行くところ。だから愉しいんだよ‥‥そう説いてくれているようでもあった。光と影、日の当たらない部分はできるだけ目にしない方がいい。

思い当たる節がある。僕は一度スタジアムアルバイトをした経験がある。これで好きな野球を好きなだけ観れる、と思った大いなる勘違い。接客に追われ、球場外に追い出され、けっきょく“観戦”どころではなかった。当然である。だっておシゴトなのだから。

 

本書はそんな当たり前のことを、今更ながらに、思い出させてくれた。ディズニーランドは何も、ずっと変わらない。変わってしまったのは他でもない、自分自身の方だった。きっとミッキーは、こうした愚か者の僕でも、ガキの頃と同じように口半開きの優しい笑顔で、受け入れてくれるのであろう。

 

二つめの要因は「外部」から流れてくるもの。僕くらいの歳になると、周りも親となり、小さい子供を連れだって聖地に赴くファミリーな方々も、大勢いらっしゃると思う。

そこで撮った写真が“年賀状”などになって、自分宛にもよく送られてくるのだが、ただ純粋に『あぁ愉しそうだな』 と、幾分神妙な面持ちに。愛する家族、大好きなヒトと一緒にゆく‥‥ディズニーランド。また格別なんだろうなァ。

 

 

思い立ったが吉日。 よし、幕張に行こう!!

 

と思ったら、今度は行く相手がいなかった。僕もすでにオッサン‥。あぁ時は無常である。無意味な「意地」が生んだ、中年の悲劇。気づいたら1日パスも、ガキの頃に比べると、かなり値上がっている。

気づいたときには何もかもが遅かった。僕はきょうも誰かが撮った園内の動画を視ながら、ディズニーランドと失われてしまった時間の重さに、想いを馳せるのである。