夜更けの電話 あなたでしょ 話すことなど何もない
《中略》
愛は消えたのよ 二度とかけてこないで
ご存知、杏里の名曲【オリビアを聴きながら】の一節である。
別れたあの人からの電話かもしれない。たぶんそうだろう。出ようか、出まいか.....
携帯電話などなかった昭和な時代。たしかに不便極まりなかったが、これもまた一興。そうした“ならでは”の駆け引き、電話線を通じての「攻防」も、今おもえば悪くなかった気はする。
携帯では生み出せなかったであろうドラマや映画も、たくさん存在した。このブログで取り上げた作品でいえば【イニシエーション・ラブ】もそうだろうし、あと【101回目のプロポーズ】なども、家庭用電話機が、けっこう重要な役割をなしていた。愛しの薫サンからの電話を心待ちにする中年おやじ・達郎の姿に、大笑いさせられた者も少なくなかったはずだ。
筆者が小中学生だった頃は携帯がそんなに普及しておらず、というか学生風情がほとんど所持できなかった時代‥。したがって、何か用があるときは「いえ電」しか手段がない。
声だけしか届かない電話はあらぬ誤解も生みやすく、家に電話してきた複数の知人に『お前の母ちゃん、なんか怖そうだよな』何回かそう言われたことがある。自分にそれを告げられても、ちょっとコメントに困ってしまう。『全然そんなことないよ』と、母親のフォローに回るのもなんだし、『その通り!うちの母親は鬼のようで‥』みすみす肯定するのも、おかしな話である。むろん、実際にはそこまで怖いヒトではなかった。
聴き手の“受け取り方”でいえば、私自身いちばん困ったのは、女の子の家に電話をかけるときだ。 現代ならLINE等でメッセージ交換ができ、デートも気軽に誘えるが、当時はそうもいかない。まず「対・相手の親」という、なかなか高い壁を乗り越えなければならいからだ。
特に向こうの親父。やはり、自分の娘はどこの男親も可愛いのだろう。こちらが男と知れば、やたら凄みを利かせてくる‥。青かった私はその威圧感に、何度も圧倒された。
わ、わたくし○○学校のエースと申します。え、えみさんを、お‥お願いできますでしょうかっ(><)
なぜか、顔も見えぬ相手に、直立不動の私‥。さらに「どういったご用件でしょうか」などと、想定外の問いかけをしてくる親もいたりして、アドリブの利かない私は焦りに焦り、余計にドギマギしてしまうといった悪循環‥。さぞかし不審に思われたことだろう。そもそも、中学くらいのガキの一人称が「わたくし」て....
そのプレッシャーに耐えられなくなった、弱き自分は、時間を決めてかけるから、かならず本人が出るように前もって言っておいたり、「ファーストミッション」は妹に頼んだりと、のちに若干卑怯な手を使ったりもした。
‥20年越しに言いたい。 お父さん、わたくしは不良でも、決して怪しい者でもございません。
そういえば、めっきり街中で公衆電話を見かけなくなった。テレカあるいは小銭片手に狭苦しいボックスの中で、夢中で長話ししていた人たちの光景が懐かしい。おそらく諸般の事情があって「いえ電」できなかった人、またはテレクラ利用者だったと思われる(笑)
受け付けない相手に対し、簡単に着信拒否、ラインならブロックできてしまうスマホにはない予測不可能で‥でもそれゆえに少しドキドキもした、“普通”の人が織りなすリアルな「ドラマ」が、そこにはあった。