自分の大きな夢を追うことが 今迄の僕の仕事だったけど
君を幸せにするそれこそが これからの僕の生きるしるし
このチューリップの名曲、【青春の影】ではないけれども、そんな生き方もアリなのではないか‥‥最近そう思えてきた。
誰かのために“仕事”なんかしたことはない。すべては自分のため。実家にいた頃は、家に金を入れることさえもしなかった。自分で稼いだ金を、なぜ人のために使わなければならない‥‥むしろ「初期投資」さえしてくれれば、俺はこんな家、いつでも出てってやるのに。
自分のことは自分でやる。その代わり、誰の手助けもしない‥‥。人は、自分自身が幸せであれば、それでいいのだ。‥たしかに、“若さ”もあった。
多くの大人は「誰かのために」に、がんばっている。これを目の当たりにする機会が増えるにつれ、次第に私の心境も変化してきた。たとえば「自分のため」だけであれば、辛くて嫌な仕事なら辞めてしまえばいい。それが何より、「自分のため」であるのだから。
しかし、「誰かのために」がある人は、歯を食いしばってでも、その仕事を全うしようとする。家族のため、我が子のため、恋人のため、自分が愛する‥‥誰かのために。
政治家がいう国民のために、スポーツ選手がいうファンのために‥等々の発言は、一切鵜呑みにしなかった。所詮、何を言おうと結局は皆、自分の金儲けのためなのである。しかし、ある面から見れば、彼らも、自分が養う家族のためだったのかもしれない‥。
そう考えると、愛のチカラは偉大である。「愛」は、人を強くしてくれる。「愛」があれば、大抵の苦境は乗り越えられる。
自分に欠けていたのは、まさにこれであった。「誰かのために」が、結果、自分をもっと強くしてくれる。‥‥今まで気づけなかった。当然である。本当を愛を、私は生まれてこの方知らずにきたのだから。これから時間をかけて、ゆっくりその「対象」をみつけていきたい。
私が住む地元には「ヨーカ堂」がなかったこともあり、最近は足を運ぶ機会も少なかったのだが、驚いた。今朝見たニュースによると、昨年から今年にかけて、閉店に追い込まれた店舗が続出しているらしい。
名称やマークを変えながらも、常に“絶対王者”に君臨していた、業界王手。そこにあったハズのヨーカ堂がないと、違和感を覚える住民方も大勢いるのではないか。
とりわけ筆者も馴染み深かった、埼玉西部の東松山、坂戸、川越各店。まさしく駅前にあり、客足もよく、傍からみると“儲かっていそう”な印象を受けたのだが。本体は今、そこまで危機的な状況に陥っているのだろうか。
上記の店舗ではないが、実は筆者も以前、従業員としてお世話になっていた時期もある。ヨーカ堂の社員全員が覚えさせられる、サンクス?の唱和もしたし、“シスター”と呼ばれる指導係の女性が、付きっきりで私たちの研修にあたってくれた。
仕事自体に、あまり良い思い出はないけれど、現在も付き合いが続く友人とそこで巡りあうこともできたし、報われはしなかったが、ほのかな恋もあった。感謝している。したがって、こうも続々と閉店しているヨーカ堂さんの行く末を、私も少々気にかけている次第だ。