近ごろ将棋で脚光を浴びているあの子は、今年15の中学3年生だそう。気づけば筆者とは20以上も歳が離れている。こんなにも違ったら、おそらく彼は私もよりも長く生き、新世界を臨めるにちがいない。
しかし、だ。もし私が80歳まで生きられたとしたら、そのとき彼も60を越している。‥そう考えてみると、20くらい、大した歳の差でないようにも思えてきてしまう。加藤茶の妻は、45も年下だ。男女間なら、結婚だって“余裕”だろう。
歳の差を感じるのは、やはり、学生時代の話を語るとき。どうしたってジェネレーションギャップを抱かずにはいられない。流行り廃りはもちろんだが、現代では到底考えられないようなことが横行していたケースは、ままある。
たとえば筆者が学生の頃、教師が生徒に対してビンタやゲンコツをよく喰らわしていた。いわゆる「鉄拳制裁」は日常茶飯事であり、それが“普通”であるのだと、当時は受け止めていた。この程度の暴力でも、今だったら虐待だなんなので、親は大騒ぎしてしまうのだろう。最近の先生方もたいへんだ。
「教育」ではないが、こういった“向き合い方”を教師にされてきた人間がオトナになったのだから、【大久保博元の事件】は同情すべき点は、多々ある。先日、テレビ番組のなかで西武二軍監督時代の、菊池雄星投手に暴力をふるった経緯について、あらためて語っていた。
実はそのときは語られていなかったことが、自身が持つ連載の中で、さらに詳しく触れていた。デーブの言い分はこうだ。
最初のころは非常にいい関係で仲も良かった自負しています。その中で、はっきりとものを言う私の性格と、生活態度なども厳しく教育しなければという思いが、雄星に対して強い口調になっていきました
むろん、彼からみた一方的なものであるが、“指導者”とすれば、至極まっとうな意見だと思う。西武でいえば、同じく鳴り物で入りで入団した清原和博。新人時代から彼にきちんと「一社会人」としての教育をさせておくべきだった‥‥そんな声を、球界関係者からチラホラ訊いた憶えがある。学年でいうと清原は、大久保の一個下で、西武時代にそれこそ様々な問題行動を間近で見てきたはず。「雄星には‥」といった願いも、少なからず働いていたように思えてならない。
そして、こういった記述もあった。
高校卒業直後の18歳の選手に対してももっと違う言い方と諭し方があったはずです。そういうことを繰り返していくうちに、雄星も私のことをうっとおしく思い始めたんだと思います。当時はまったくそのことが分かりませんでした。そのうち、毎日のあいさつがなくなりました。そしてあるとき、私がいつもと同じような話し方で接してしまい‥‥。最後に手が出てしまったんです
‥これが事実だとすれば、テレビではよく我慢していたと思う。暴力はいったん置いておき、彼に“手をあげさせる”原因をつくったのは、これをみる限りでは、明らかに雄星の方である。
挨拶をしないなんて言語道断。どんなに苦手な人でも社会人である以上、挨拶は基本である。こういった考え方をする自体、古い人間と思われるかもしれない。が、上下関係の厳しい野球部にあって、先輩に対しての「挨拶スルー」など、実際まずありえなかった。
テレビでは、頭を一発小突いた仕草をみせていたが、どんなふうに手を挙げたのかは、当事者以外わからない。しかし、そのたった一発の拳によって、のちに裁判沙汰へと発展してしまった。雄星も気の毒といえば気の毒だが、これで訴えられてしまったら、“過去の人たち”はどうなってしまうのだろう。
平成に入ってからも、現楽天の梨田監督が近鉄時代に悪態をついたM投手を、現埼玉西武SDの渡辺久信は二軍監督時代に、朝飯をとらず登板した投手をボコボコにしたなんて話も訊いた憶えがある。もちろん、それらは裁判沙汰になることも、訴えられることもなく、両者の間ではおそらく「教育」の一環として受け止められている。だから大久保の方も、気の毒だ。
暴力とはいかないまでも、私も野球部時代は懲罰走や水を与えられないといった、今でいう「虐待」にも似た仕打ちは当然のごとく受けてきた。現代なら、そういったことすら問題視されてしまうのだろうか。その辺りの”線引き”がつくづく難しいと感じる、一件でもあった。
《参考文献》