センテンス・オータム

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東急フライヤーズ7本塁打 ー4人の侍たちー

文春が発売前の新潮の記事を盗み見!?

 

 

先週スクープされた、この記事。まさに「文春砲」を逆手にとられたカタチだが、真相はどうなのだろうか。私は、どちらの誌も愛読中。ただ、純粋な“読み物”とすれば、新潮に分があるような気が、最近はしている。

 

文春といえば、オンライン上で【文春野球コラム ペナントレース2017】が開催されているのはご存知だろうか。12人の執筆者がひいきの球団を担当し、野球コラムで戦うペナントレース(サイトより)。読者からの投票によって、順位が決まる仕組みだ。

 

これの執筆者に、自分がノミネートされなかったのが不思議でならない(笑)。当然、私ならひいき球団である「日本ハム担当」となるのだろうが、現担当は、あのえのきどいちろう氏。彼は私よりもファン暦が長く、いちおう歴としたコラムニストである。納得の人選だ。

 

以外だと、埼玉西武の中川充四郎と千葉ロッテの梶原紀章のコラムは“敵”ながら、面白い。中川氏は、すでに一線からは退いているせいか、少々「昔話的なもの」が多いも気もするが(笑)、個人的にも参考にさせてもらっている。

いずれも本業の片手間に‥といった程度の感じなのに、セ・リーグの某球団にはこのペナントレースに、まるですべてを賭けているかのごとく、熱のはいった執筆者がいて笑える。

 

 

さて、北海道日本ハムがチームタイ記録となる『1試合7本塁打』をマークしたことは、ここでも触れた。大田泰示の躍進とともに、前半戦最大のトピックといってもいい、67年ぶりの大記録‥‥。えのきど氏も、件のコラム内で言及している。

 

 

bunshun.jp

 

 

‥うん、【東急フライヤーズを知っているか?】というタイトルのわりには、語られている内容が比較的あたらしめ。私も、おそらく他のファイターズファン方も、その当時のことについて知りたかったと思うのだけれど、東急はさすがに“管轄外”だったかwまぁ、なにせ67年も前の出来事だ。無理もない。

 

ならば筆者が‥‥ここに訪れてくれた読者のためだけに詳細を記しておこう。

 

日時は終戦まもない、1950年5月31日の水曜日。対毎日オリオンズ戦。舞台は市川国府台球場だ。当時のままの外観であるかどうかは不明だが、ちなみにこの球場は現存する。今でいう神宮球場のようなつくりでフェンスは低く、たしかにホームランは出やすかったかもしれない。

 

7本も乱れ飛んだのだから、当然、試合は大荒れ。「23-11」のスコアで、実、毎日が勝利を収めている。次はホームランを放った東急の打者。

 

3番ファーストでスタメン出場の、保井浩一。なんと、彼がこの試合、ひとりで3本も打っていた。いわゆる1試合3ホーマーの固め打ち。4安打3打点の活躍だった。

4番センターの常見昇(つねみ のぼる)も2ホーマー。同年17本塁打を記録した、東急の主砲である。

 途中出場でレフトの守備に就いた溝上治一(みぞうえ じいち)も一発。プロ通算でも、この年に放った3本だけだった男が、球団史に名を刻んでいた。

そして4人目、7本目が片岡照七(かたおか てるしち)が打った一発。彼については情報が少なく、判っているのは同志社大卒の片岡」が、篤史以外にもいたということだ。

 

 保井と常見は、すでに亡くなられており、他2選手は不明。余談だが、この7本塁打を記録した記念すべき試合‥‥東急の3番手投手として、のちに甲子園で名タクトを振るうことになる、蔦文也が投げていた。歴史的な観点からも、たいへん“貴重な”試合である。

 

 

risingham.hatenadiary.com

 

※文中敬称略

 

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