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愛の在り方について問う 【悲しみを抱きしめて】 西村匡史

お盆‥‥昔も、今も僕には帰る場所がない。帰るところがある人が羨ましかった。

 

 

そういった人が、乗客の中に大勢いたと訊く。32年前のちょうどお盆時期‥8月12日の夕刻、御巣鷹の尾根に墜落した、日航機事故ーー

 

mainichi.jp

 

 

リンク先の記事にある田淵親吾さんという方は、僕もわりと最近知った。西村匡史著【悲しみを抱きしめて 御巣鷹日航機墜落事故の30年】に、一家の話が記されている。大切な3人の娘を事故で一瞬にして亡くし、妻は酒浸りとなって精神も病んでしまった。

親吾さんも自分が言った“ある一言”によって、娘たちの行き先が決まってしまった‥死なせてしまったのは自分のせいなのだ‥と、長年にわたって苦しんでいた。事故も凄惨を極めたが、遺された遺族たちの“その後”もまた、想像を絶するものだった。

 

一連の経緯から一切の取材に応じなかった田淵さん夫婦だが、著者でもある西村氏の人柄にも触れていくうち、最近はこうしてメディアでその名前をよく見かけるようになった。本には三姉妹の、遭難直前の写真も掲載されていたが、いかにも聡明そうな美しい女性‥。この三姉妹も目には見えぬ力を、空の上から父母へ送り続けていたに違いない。

 

 

悲しみを抱きしめて 御巣鷹・日航機墜落事故の30年 (講談社+α新書)

 

 

たとえば、もうすぐ自分が死ぬと解っていて『本当に幸せな人生だった』といえる人が、この世の中に、一体どれくらいいるのだろう。そこには一点の曇りもない。あるのは周囲への「感謝」の想いだけ。墜落前の機内で、遺書をしたためた乗客の話である。

 

遺書にもあった家族との最後の食事は前夜の、手巻き寿司‥。これまた“団欒”を象徴するかのようでいて、哀しみをより増大させる。遺書を見るからに、もちろん当初はまだ死にたくないといった思い、強い意志も、その文面から見てとれたが、最後は『本当に今迄は幸せな人生だった』と結んでいる。

 

ある程度、死を受け入れたときに、こういった言葉が自然に‥いや、咄嗟にでてくる人‥‥。なんて素敵なんだろうと思う。同時に、どれだけ幸せな人生を歩んでこられたのか‥‥悔いなく逝けるその方の人生を、羨ましくもさえ、感じた。今の未熟な僕には、到底できない。

 

 

本当なら、おそらくその多くが“帰る”場所のあった人たち。それに比例し、帰りを待っていた家族、関係者もいた。お盆時期になると、件の飛行機事故と、まつわる、ヒトの本当の「愛を在り方」について、毎年考えさせられてしまう。

 

 

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