俺はいったい、何人の女を幸せにできたんだろう....
ここ数年、そんなことをよく自問していた。そもそも「幸せ」の基準なんて、私に明確なものは解らないけれど、ぼんやりとビジョンは見えている。
ヒトとして、女として生まれてきてよかった‥‥
あなたと巡り会えて、よかった‥‥
そう相手に思わせることではないか。そのプロセスの中に少しでも自分がいたのなら、“協力”くらいはできたのかもしれない。
むろん、照れ臭さもあって『あなたに会えてよかった』などと日常的に口にする人は、あまりいないだろうが、たったひとりでも、相手にそう思われればいい。それが自分自身の「生きた証」にもなる‥。
そんな思考に私を思い至らせたのは、時期的にもみて、おそらく北海道日本ハムファイターズ監督・栗山英樹(56)から受けた影響が大きい。先日もレアードに『日本のファーザー』とまで言わせた、あの懐の深さ。
それはそうだろう。栗山監督と巡り会わなければ、彼は今、日本にいられたかどうか‥。入団一年目の夏場くらいまで、極度の不振にあえでいた。それでも監督は、辛抱強く起用して、ようやく目覚めた。翌シーズン、本塁打王となった男の、目覚め‥。
他の球団に入っていれば、もしかしたら、途中で「お払い箱」になっていた可能性すらもあった。“源流”は、きっとここにある。
20日の埼玉西武ライオンズ戦。上原健太(23)が待望のプロ初勝利をあげた。私は正直、素人目でみても、彼はまだ一軍のレベルに達していないと感じていた。現実に、投げればKOの連続‥‥。しかし、それでも監督は自らの“決め事”であるかのように、上原を投げさせ続けた。
すると、どうだろう。不思議なことに、投げていく毎に「それっぽく」見えてくる。
結果が伴い始めてきたのもあるが、他の一軍クラスの投手のそれと、何ら変わりはないようにも思えてきた。
先発登板5試合目にして、初勝利。いってみれば以前の4試合は「上原のために使った」といってもいい。ここまでの我慢をできる監督は、他球団を見渡してもそうはいない。大抵は二軍調整を命じる。
しかし、その我慢が、上原をのちに「和製ランディ・ジョンソン」へと成長させた‥‥と思えば、落とした4試合など、もはやどうってことなくなる。上原にとって高い授業料だったと思えばいい。
そして、あの勝利の瞬間、彼もまた、
プロ野球選手になってよかった‥‥
栗山監督と巡りあえてよかった‥‥
そう感じたに違いない。監督はまたひとりの選手を幸せに、成功へと導くことに成功したのだ。
今シーズンに関しては、すでに来季を見据えた戦いをしているというのも、たしかにあるが、レアードのときは上位争いの真っ只中。チーム状況に関係なく「選手のために」時間を使ってあげられる監督であることに変わりはない。
野球を通じ、栗山氏には本当に様々なことを学ばせてもらった。彼のような人物は、他人を幸せにできる人間。‥そんな崇高な監督でありながら、生涯独身を貫いているのは、今以て謎なのであるが。