今おもうと、息苦しい世の中だった。
勉強、勉強、また勉強‥。現代を生きる子供たちがどうなのかは知らないが、我々の頃は「学習塾」に通わされていない子の方が珍しかった。なぜ学校以外でも、勉強をしなければならないのか。‥“時代”と言われればそれまでだけど「学歴こそがすべてなのだ」と、あの当時の親たちはアホみたいに取り憑かれていた。
これについて、僕は幼いときに「反発」したことがある。好きでもない勉強を“無理やり”させるくらいなら、もっと自分が好きなことに、情熱を持って臨めるものの方に、時間とお金を費やした方が、絶対にいい‥と。アホな親たちによって、僕ら世代の多くのガキが、才能の芽をつぶされていたように思う。
塾に通わせる金があるのなら、僕はよほど少年野球のチームに入りたかった‥。
そもそもが高卒同士の親である。いくら塾に通ったところで、その子の“伸びしろ”もたかが知れている。東大に入る可能性より、野球選手になる可能性の方が、まだ幾らか勝っていたはずだと、僕は今でもそう感じている。
行きたくもない学習塾に通わされて、その後、何か役に立ったことがあっただろうか。‥何もない。何ひとつ。
もし、僕が野球チームに入っていたら‥‥仮に選手にはなれなかったとしても、万年補欠で終わったとしても、野球を通じ、チームワークの大切さを学ぶことができた。大人になってから本当に活かされるのは、こういうことの方ではないだろうか。
いい大学に通っても、よりよく生きる人生の保証はない。いい大学に通っても、職場の人間関係に悩み、自ら命を絶ってしまうヒトもいれば、DVな最低夫もいる。関西方面の最難関の大学を卒業しながら、現在はニート生活を送っているヒトも、自分は知っている。つまりは、こうだ。
学歴なんてクソくらえ
‥今回はそんな時代の波に翻弄された、どうしても“頭がよくなりたった”ヒトの「世にも奇妙な物語」トラウマ回をお届けする。
工藤正貴主演の【受験生】も、なかなか印象深い。絵に描いたような劣等生が「頭がよくなる」バンドを手にし、飛ぶ鳥を落とす勢いで“天才”にまで上りつめた。
しかし、彼は最後の最後で詰めが甘く、東大入学への道は絶たれた。おそらく、東大一本に絞っていたから、事前に早慶クラスを受験していたということもないだろう。したがってバンドの効き目もなくなった主人公は、元の劣等生に逆戻りなること請け合い。‥この辺りにも、ヒトに本当に必要なのは「学力」ではなく、「人間力」であるのだと、世にも奇妙はシュールに説いている。
トラウマという観点なら、最怖はコレ。勝俣邦和主演【100円の脳みそ】。やはり受験生であった主人公の男は二浪中‥。藁にも縋る思いで「東大生の脳みそ」を購入。ただし、この東大生の性格が“メチャクチャ悪い”という設定で、脳みそを食べた主人公は人格までも変えられてしまう。性格の悪さと意地汚さは、まさに「最怖レベル」であり、絶望する主人公が収められたラストシーンが、やたらに印象深い。
脳に入り込まれたということは、自分の意志では自殺も出来ないのだろう‥。その後の彼の人生を想うと、ただただ恐ろしくて、暗い気持ちにさせられる。
いずれも頭がよくなりたいと願い、第三者の力を借りながらも、願いは一応、叶えられた。だが、その代償は大きかったという話。‥とりわけ【100円の脳みそ】は強烈だった。
『学力を身に付けたところでナンボ』という、いささか卑屈な思いに筆者を至らせてしまったのは、あるいは感受性豊かな幼年期にこれらの作品を目にしてまったのも、どこかにあったかもしれない。
と、いつも僕は「イイワケ」をしているのである。《つづく》