ネット辞書によると【エセ】とは、2通りの意味があるらしい.....
1.似ているが、本物ではない、にせものである、の意を表す
2.つまらない、とるにたりない、質の悪い、の意を表す
‥似ているが、本物ではない、これは当然。なおかつ、つまらなくて“とるにたりない”とくれば、僕の中ではもう、まるきり【ビジーフォー】だ。彼らをエセ・モノマネ芸人と呼ばずになんと呼ぶーー
筆者はモノマネ番組が好きで、それこそコロッケがまだフジに出演していた頃から視ていた。昨今の芸人たちと比べると、まぁクオリティの低さは際立ってしまう。もし、あの時代に山本高広やホリがタイムスリップしたなら「モノマネ四天王」は壊滅だ。
‥とはいえ、コロッケや清水アキラの、飽くまでも笑いを追求した「芸」は、それなりに愉しかったし、現代のモノマネ番組の礎を築いてくれたのも、まちがいなく彼らである。
「四天王」でいえば、コロッケだと千昌夫に田原俊彦‥。清水アキラなら村田英雄、研ナオコ‥。栗田貫一なら郷ひろみやみのもんた‥といった具合に、代表されるレパートリーが次々と思い浮かぶのだが「ビジーフォー」‥‥??
僕が、決してコアなファンではなかったというのもあるけれど、それを差し引いても、何も出てこない。‥よくよく振り返ってみれば、彼らの“ショータイム”はつまらなくて非常に退屈であった。
これには、ちゃんと理由がある。少なくとも自分が視ていた頃は、海外のアーティストのモノマネをたびたび披露していた。ユニットの特性を生かした、確かに美しいハーモニーを奏でていたとは思うのだが、正直、似ているのかどうか判らない。
‥実際に似ていたのかもしれない。ただ、「モノマネ」よりも、歌唱の巧さの方に、ビジーフォーは“逃げて”いたように、あの当時、僕は感じていた。他の四天王と、いってみれば同じ土俵に立っていないビジーフォーを、僕は“卑怯”にも感じていた‥。
代表的なレパートリーが出てこないのは、おそらく、そういったことも起因しているのではないか。とるにたりない、まさに【エセ芸】である。
モト冬樹の背後で、やたら甲高い声を張り上げていた印象が濃い、グッチ裕三(65)。
なかなか興味深い記事を週刊誌で見かけた。
要は、こういうこと。自身がプロデュースした店を、自身がオーナーであることを告げずに、様々なメディアで“称賛”。それを繰り返して客を呼んでいたという‥‥。
モノマネに負けず劣らずなセコさ。その名前を明かすのもアカラサマだし、あたかも「客目線」で店の素晴らしさを“演出”する。これぞ【エセ】芸人がなせる業!
‥本当に腕に自信のあるヒトなら、こんなことはなしない。物書きに成りたてのころ、掲示板などで正体を明かさずに自分のブログを宣伝しまくっていた頃の僕と、大差はない(笑)
先日、偶然にも件のメンチカツ屋の横を通ったら、多くのギャルたちがメンチカツを路上で頬張っていて、たしかに繁盛はしていた。しかし、それで近隣のお店が迷惑を被っている‥そんな事態も招いているらしい。
エセは死んでも治らない?