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タイムスリップ【米軍が見た東京1945秋】 佐藤洋一

大昔の事が、なにか現実の出来事とは思えない。“作り話”を日本の歴史と、私たちは勝手に覚えこまされているだけにすぎなく‥‥。そんなふうに感じたことはないだろうか。

 

まるで【世にも奇妙な物語】的な世界観である。しかし、半分は本気(マジ)で「現代」を生きる人にとって、どれもこれも現実味のない話ばかりだ。たとえば直近の日本が当事者となった戦争。‥小野田さんの帰還すら生では見ていない筆者にとっては非・現実的。

 

 

米軍が見た東京1945秋

 

 

だから、試しに【米軍が見た東京1945秋】なる資料を購入してみた。はたして私に「リアル」をもたらしてくれるのか‥‥。

答えはイエス。戦後すぐ、文字どおり米軍兵士が収めた写真の中に、富士山が入り込んでいるものが2枚ほどあった。日本人の性質は変わっても、変わらず同じ場所に在り続ける富士山の姿を見ていたら、急に「リアル」が伴ってきた。たしかに“あの時代”は存在していたのだと。

 

富士山は偉大だ。在原業平も【伊勢物語】のなかで詠んでいる。平安時代から日本の“象徴”となっていたのかどうか、は私には解らないが、“あの時代”の日本のシンボル‥正確には東京のシンボルとなっていたのは、どうも国会議事堂らしい。まぁ、まだ東京タワーもない時代となれば、目立った“建物”が国会議事堂くらいであったのだろう。

 

一面焼野原となった浅草。家賃値上げ問題で揺れる「仲見世」も、かすかに写っている。浅草公会堂の辺り‥当時は区役所だったようだが、なんとなく今の面影が残る。そして皇居、ここも今と変わらず緑に囲まれ、日本橋近辺には現存する百貨店‥。

 

一気に現実味を帯びてきた。ここまで鮮明に、数多くの写真が残されていたとは。文章を担当した佐藤洋一氏も冒頭で触れているように、当時の街の様子を収めた写真はそれほど多く残されていなかった。しかし、米軍兵が高価なカメラを持っていた‥。これは盲点。

 

今後、ますます「生き証人」が減っていくなか、このような写真の数々は、たいへん貴重な資料になり得るのではないか。未来の人たちにも、きっと戦争を現実に起きた出来事として、受け止めてもらえる。

街の様子とともに、あの時代を生きた日本人や兵士が映っている写真もあった。数は少ないながら、両者が“交流”しているものもあったりし、話では訊いたことがあった『ギブミー・チョコレート』が、それこそリアルに感じられた。

 

 

好きだった一枚  P84【隅田川・荒川をめぐる】より

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