センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

【YMCA】エースのやきう日誌 《5月17日版》

◇【YMCA】が嫌いだった

 

 

西城秀樹氏が死去。まったくもって「寝耳に水」であった。‥あとで調べてみたら、以前発症した病気の後遺症と闘いながら、ステージに立ち続けていた模様。

 

西城氏と、日本ハムファイターズは浅からぬ縁がある。余興で行われる【YMCA】ダンスを先だって取り入れていたのが、まだ東京にいた頃のファイターズ。その縁もあって氏がドームへ唄いに来たこともあったっけ。北海道に行った現在も変わらずに継続され、気づけばもう20年近く‥毎試合きまったタイミングで同曲がかけられている。

 

今週、ちょうど“古巣”東京ドームで試合が行われていたこともあって、当時の記憶が鮮明に蘇ってきた。東京本拠地時代晩年、私はドームでアルバイトをしていた。ガラガラのスタンド‥。アルバイトの人員は巨人戦の半分程度で済み、また“暇な”ファイターズ戦はスタッフにも概ね人気があって、そこにシフトを入れるのも容易ではなかった。客は集まらないが、アルバイトにはたいへんウケがよかったという、需要と供給の不一致さ。

とりわけファンでもあった私は、是が非でも入りたいハム戦のシフトを確保するために、仕方なく巨人戦にも“出動”していた。そんな毎日‥。

 

当時のファイターズはハチャメチャに弱くて耐えがたかったけれど、仕事でありながらも、試合の雰囲気をお客さんと同じように味わえるのが好きで、私にとって「天職」にも思えた。野球好きには本当に、たまらないアルバイトであったが、アレだけは当初、苦痛でしかなかった。‥そう【YMCA】である。

 

踊り子でもなんでもないイチ係員までもが、当時、踊りを“強要”させられていたのだ。いくらお客さんが少ないとはいえ、さすがにアレは恥ずかしかった。春先よく見られる修学旅行生たちにも嘲笑され『俺は東京まで来て、いったい何をしているのか』と‥。

 

‥慣れとは怖いものである。次第に染みついていった【YMCA】ダンス。恥ずかしがってヘンにタラタラとした動きを見せる新人君の踊りを見て、ある日、私は猛烈な「かっこわるさ」を覚えた。【YMCA】を照れて踊ってはいけないーー

 

自分のなかで何かが変わった。給料をもらっている以上、踊りも「プロフェッショナル」ではなくてはならない‥。それに文京区という東京のど真ん中で、かつてヒデキが一世を風靡した【YMCA】を踊る機会など、今後もそうそう訪れるものではないだろう。これは野球の神様がファンに与えてくださった「舞台」なのだ。

胸を張って、腕をピンと伸ばし、身体を45度に捻じ曲げ、美しく!

 

 

西城秀樹 スーパー・ベスト DQCL-1179

‥‥これに“目覚めて”しまった者は数知れず(?)。やはり踊り子でもないのに、激しい踊りをみせて一躍有名となったグランドキーパーがいたけれど、きっと彼もその類

であるにちがいない。西城氏の世代ではなかった我々にとっても、同曲は青春の1ページに刻まれている。

 

 

◇ハムのY・M・C・A

 

せっかくだからコレ繋がりで、ハム浮沈の鍵を握る選手を【YMCA】に擬えて......

 

Y【横尾俊建】

オープン戦は好調。開幕スタメンを勝ち取ったのに、また不調‥。セカンドも守れる横尾が出てくれば、多彩な攻撃型ラインナップが組める。二軍では帝王。一軍では鳴かず飛ばずだった藤島誠剛氏の二の舞にはなってほしくない。

 

M【松本剛

飛躍となった昨シーズン。しかし現在は二軍調整中‥。たしかにライバルは増えたが、ファームに置いておくような選手ではない。今こそみせろ帝京魂。

 

C【近藤健介】

今週から一軍戦に復帰したが、先の西武2連戦では無安打に終わった。さすがの安打製造機も短期間で実践感覚を取り戻すのは難しかったか。焦ることはないが、不調のうちに打率がドンドン4割を下回ってしまうのが、個人的に残念でならない。

 

A【アルシア】

詳細は分からないが、故障箇所が思っていたよりも良くなかったのか。こちらも現在二軍調整中。調子をあげてきたところでの降格‥。本人も歯がゆいだろう。守備位置も打撃スタイルも(体型も)重なる清宮幸太郎との一騎打ちは、今後見ものとなる。相乗効果を期待したいところ。

 

 

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