センテンス・オータム

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【Fsキャンプ日記&「北海道移転前の英断」】エースのやきう日誌 《2019年2月7日版》

日曜朝、愉しそう‥とのお言葉に『冗談じゃない!』と言わんばかり憤慨していた張本勲......

 

 

セキグチさん、ごもっとも。はたから観ていると、実に野球の「キャンプ」とは愉しそうである。‥たしかに練習はキツいのかもしれないが、好きな野球を一年やるための鍛錬。それでサラリーマン以上の給料をもらっているのだから、我々からすると羨望以外の何物でもない。

 

久々のやきうネタ。‥なのに、いささかネガティブな切り口ですまん。いつもの癖で、つい(苦笑)

今春、ファイターズキャンプに対する各メディアの扱いは、一軍のアリゾナと二軍の沖縄が半々くらい‥いや、沖縄の方が半歩リードしているか。これはもちろん、ゴールデンルーキー・吉田輝星人気によるところが大きい。

吉田輝含む「高卒五人衆」。オフの日に三線(さんしん)を手に、海辺でふざけているフォトを見かけたけれど、アレなんかもう完全に部活のノリだ。仲がよろしくて何より。同期ってすばらしい!明日のスターは君だ!

11年生の杉谷は杉谷で、休む間も惜しんでホテルでインスタ投稿。修学旅行かw やっぱりキャンプって愉しそう。あ、『オフの時間は』と付け加えておいた方が良いか念のため。張さまに怒られてしまう。

インスタといえば、この前ニュースにもなっていた人気のコ。ファイターズのファンだったらしい。これは前回話した飲み屋でも話題になったんだけど、どこ行っても若いコ多いよねぇ。今の野球場? ‥北海道移転前の東京ドームなんて、ほんと、見渡すかぎりオッサンばっかだったから。しかも招待券で入ったタダ客な(苦笑)。そら赤字経営にもなるわ!

 

‥という昔話になったところで、ファイターズの古き良き時代を回顧する、あの恒例企画に行ってみよう。

 

 

【訳あり】幸水梨 約1.2キロ 3?4個入

 

 

連載企画【私と平成ハム7】

 

ファイターズスタジアム

 

平成時代、ファイターズの一大プロジェクトが本拠地の「北海道移転」だろう。しかし、それに勝るとも劣らない‥ビッグなプロジェクトが持ち上がったのは、平成が始まってすぐの話である。

 

練習場を備えた、二軍専用の球場を千葉県鎌ケ谷市に建設するという。時期的にはロッテがフランチャイズを千葉に移す直前のころで、大丈夫なのかという思いがあった。‥その部分にかんしては問題なかったそうだが、実際、イチから建設するとなると、まず土地を確保するところから始めなければならず、完成にはかなり長い年月を要した。

 

 

平成9年。ファイターズスタジアム鎌ヶ谷、遂に完成――

初めて足を運んだ日、私は驚いた。『これが二軍の球場なのか』と。一軍本拠地の東京ドームと同じ広さで出来ているというのは訊いていたが、収容人員2000人の立派なスタンドに、センター方向にそびえ立つ巨大電光掲示板‥。そこは、まさしく「スタジアム」だった。

 

同じ首都圏にあるロッテの浦和、ヤクルトの戸田、西武第二等のグラウンド然とした二軍球場とは雲泥の差。室内練習場完備、すぐ近くに選手寮もある。まさに野球を“打ちこむ”のにはもってこいの充実した施設内容で、当時の上田利治監督の言葉が今も印象に残っている。

 

ここで上手くならんヤツは、よっぽど練習に手を抜いていると思われても仕方ないぞ

 

同年、さっそくヤングファイターズはイースタンリーグを制しファーム日本一にまで上りつめた。そして、上田監督のいう通りに、いまや野球環境の整った鎌ヶ谷から、果てはメジャーリーグにまで羽ばたいていった選手が、何人もいる‥‥。

 

一軍が優勝するのはもう少し先の話になるが、でも、10年もしないうちに結果は表れた。当時、ケチだの貧乏だのと叩かれていた球団が、大枚をはたいて造った自前の球場。「効果覿面」だった、二軍の鎌ヶ谷移転。大英断だった。

 

若手の育成に定評あるファイターズ。その誰もが辺り一面「梨畑」の、通称“鎌スタ”が原風景として残っている。常に劣悪な環境のなかで試合が行われていた旧・多摩川球場。あの時代、若手といわれていた選手たちが、幾分気の毒にも思えてきてしまう。

(つづく)

 

 

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