センテンス・オータム

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【「鑑定士と顔のない依頼人」を観て得た人生訓】エースの映画日誌ミニ 《2019年2月11日版》

32?33?‥‥35⁉

 

 

年の離れた初対面の子に年齢を尋ねられ『もうちょい上』、そんなふうにボカしていたら、だいぶピンポイントで攻めてきた。そして、業を煮やした彼女から発せられたのがこの言葉である。

 

もしかして、初老? 

 

久々に接する年下の子に鼻の下を伸ばしていた エロスは愕然とした

それまで「オジサン」と表されたことさえなかった自分が“初老”とは‥‥。「老」の字は、まだまだ私にとって遠い先の話で、縁のないものとばかり思っていたのだ。

そのときは即座に否定したが、あとで調べてみると「初老」とは以前、40歳くらいからの人を指していたそうである。現在アラフォー‥‥。彼女は、あながち的外れの発言をしていたわけでもなかった。‥そうか、今の私は「準・初老」とでもいえようか。

 

 

 3回り以上ちがう若い嫁を手にした加藤茶のようなケースも稀にあるけれど、世の中、おいしいハナシには、たいてい裏がある。一般の方なら、まず“後妻業”の類を疑ったほうがいい。昨年ワイドショーを賑わせていた何とかのドンファンも、残念ながら、それに当てはまると見ていいだろう。

しかし、人に恋をするのはいくつになっても愉しいものだ。明治の歌人川田順は、かつてこういった歌を詠んでいた。

 

墓場に近き 老いらくの 恋は怖るる何ものもなし

 

童貞を通してきた男が老境に入って、それこそ自分の娘くらいの年齢の若い女を猛烈に愛した。‥結果、その物語は、ひとりの人間を“壊して”しまう。異性を愛す喜びをようやく知り、でもそれが真実ではないと知ったとき、人は‥‥。ふと川田順の歌が脳裏にも浮かぶ鑑定士と顔のない依頼人に、身につまされる思いもした、初老の私――

 

 

鑑定士と顔のない依頼人(字幕版)

 

2013年公開のイタリア映画。ジェフリー・ラッシュ主演。

 

優れた美術品鑑定士として世界的に名を馳せていた主人公、ヴァージル。大きな屋敷に一人で住んでいる‥‥決して他人に顔をさらすことのない、謎めいた女からあった鑑定の依頼が、彼の人生を劇的に変えた。

声のトーンから、おそらく主は妙齢だ。『私たちは似た者同士』、開かれない“ドア越し”で会話を交わすうち、ヴァージルはクレアと名乗るその女性自身に、次第に興味を持ち始める。美術品の鑑定よりも、もはやクレアの様子を見にいくことの方が目的となっていた。そしてついに、彼は本当のクレアの姿を見てしまう.......

 

 

決定的となるネタばれは避けつつ、本作品を観、私がまた別の意味で感心をしたのは、主人公を取り巻く人間たちの巧妙さ。隔靴搔痒、「地面師」と呼ばれる詐欺グループに、巨額の金をだまし取られたセキスイの側から捉えた映画‥‥といえば、なんとなく伝わるだろうか。

 

クレアはいったい何者で、ヴァージルほどの優秀な鑑定士が最後に見抜けなかったモノとは何か‥。

映し出されたすべての描写が意味をなしていて、そこに“目的”があったことに気づくのは主人公同様、われわれも、おそらく物語の最終盤になってからだろう。

言えるのは、クレアは実在し、ヴァージルは彼女を異性として、確かに意識していた。一方で、生まれて初めて味わう、人を愛するという不確かな感情は、彼を「骨抜き」にしていたのも、また事実なのであって‥‥。ラストシーンで彼がポロっと口にするセリフからも、その危うい変化が見て取れる。

 

 

老人も、初老も‥‥恋をすることはあるだろう。だが、それも“見極め”が肝心だ。

そして、こうも肝に銘じたのである。くだりのセキスイの話ではないが、金が絡むオイシイ話には、“や は り”裏があるのだと――

 

 

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