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【事実の向こう側にあった、真実の行方―】エースの映画日誌ミニ 《2019年3月4日版》

平成時代にいた凶悪犯‥‥たとえば元死刑囚のM、Tあたりも逮捕当初は精神病を装っていたという。昨年執行されたあの教祖も、一部の間でそういった憶測がなされていた。減刑を狙った、おそらく弁護士の意見に基づく“法廷戦略”の一環なのだろう。むろん、対峙する側だってプロ。その多くが事実ではないのだから、当然「演技」はすぐに見抜かれる........

 

 

のっけから少々デリケートな話になってしまった。しかし、これにはワケがあって先日たまたま視聴したのが、まさに殺人の容疑がかかった被疑者を弁護する側の者の視点で追った作品、だったのである。リチャード・ギア主演、1996年公開のアメリカ映画【真実の行方】。ここで指す「真実」とは何か。複雑な審理のすえ殺人犯にくだされた判決と、驚愕の結末――

 

 

真実の行方 (字幕版)

 

 

冬のシカゴ。大司教ラシュマンが自宅で全身をナイフで刺されて殺され、事件直後、現場から血まみれで逃亡した19歳の青年アーロン(エドワード・ノートン)が逮捕された。マスコミに注目されて華々しく活躍する弁護士マーティン(リチャード・ギア)は事件を知るや、自ら彼の弁護を無償で引き受けた。アーロンは数年前、路頭に迷っていたところを大司教に拾われて以来、ミサの手伝いをする侍者として仕えてきた。彼はマーティンに、父親も同然の大司教を殺すはずはないと言う ※映画.comより

 

 

物語の“核心部”には触れないようにしつつ、第一の感想を語ると、筆者が目にしてきたなかでは【アイデンティティー】【マシニスト】に遠からずなイメージ、印象を抱いた。つまり、自分の中にいる‥‥あるいは後から生まれた「別の人格」が事件を起こさせたというものだ。

裁判でこの特異な「病気」が立証できれば、死刑台行きは免れ、結果、彼を助けられる。“元々の人格”は幼い子供のように純で、マーティンも弁護に熱が入った。徹底した裏取り、巧みな法廷戦術。かつては一緒に“寝た仲”だった女性検事・ベナブルの出方も、マーティンは読んでいた。

 

被告の病気を突き止め、新事実を明らかにさせたところで、通常ならマーティン側の完全勝利。しかし、事件の「真実」は他にあったというのが、本作品、最大の肝である。

「事実」と「真実」の意味の違いには諸説あるが、私はおおまかに「事実」は人間の目に見えるもので、後者は見えないものだと思う。本作品における「真実」も、結局は誰の目にも映らなかったのだ。眼前にいる多重人格の男が殺人事件を犯したという事実には変わらない。でも真実は‥‥。

茫然自失するマーティン。ここで描かれる「真実の行方」は、それほど危うかった。

 

 

リチャード・ギアの魅力がたくさん詰まっている。法廷では対立する役どころも、未練たっぷりだったベナブル役、ローラ・リニーとのコンビは、お似合いだった。そして、アーロンに扮する犯人役、エドワード・ノートンの「演技」も、本作品がデビュー作とは思えないほど、完璧であった。

 

 

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