前夜、食品も取り扱っている近場のドラッグストアに行ってきたのだが、会計待ちに長蛇の列。
おそらく『不要不急の外出を控える』を受けてのものだろう。スーパーなどにかんしては商品の流通に問題は生じず、週末も変わりなく営業するところが多いと訊く。焦る必要は全くないとのお達しもあったのに、こういうとき、自分さえ助かればいいという人間の浅ましさが垣間見えて嫌になる。
同様に、9年前の震災時に困ったのは直後、「簡易食品」が品薄状態に陥ったこと。主にパンやカップ麺の類を指すが、これには参った。料理をしない(できない)筆者のような単身ビトにとって、もはや「命綱」ともなるのがそれらの商品であり‥‥。自分からパンを奪われてしまったら、朝なにを食えばいいのか。緊急時でも、まだ環境が整っていて調理も可能なご家庭は、なるべくそうして頂きたい。切なる願いだ。
その「緊急時」と「食」の部分にフォーカスした書籍が、なかなか読み応えあった。西牟田靖著【極限メシ!】。そんな生産性に乏しい(?)私だから、ずっと目にしたかった本。つい先日読了――
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本の中に登場してくる男女6名は職種、土地柄、さらに時代背景もちがっていて、まったく共通点はない。したがって何を指して「極限メシ」と表しているのかがポイントだ。ある者は河で獲れたザリガニ、ある者は先住民からもらったリンゴであり、またある者は、ごく僅かなビスケットといった具合に多種多様。
ここで取り上げられているのは、決して珍貴なものではない。どころか、我々の身近にある、ごく「ありふれた」食材なのだ。つまり、数奇な巡り合わせと彼らの居た環境によって、その「ありふれた」ものがご馳走に変わった、見えたということ。
しかしながら、人間が覗かせる「食」への執念たるや。‥いや、これは何もヒトに限ったことではないが、皆、生きるために、本能で食らう。驚いたのは、植物までも含めれば本書で自ら「狩り」を行ったのが6名中、なんと5名(マグロ漁船に乗った人は直接狩ってはいないが)。
程度と状況はだいぶ異なるけれども、ある意味「極限化」に置かれた現代人が買い占めに走るのも、むべなるかなといったところではある。
戦後すぐ、極寒のシベリアで過酷な体験をされた中島裕氏の章は史料価値としても高く、以前著書を読んで深い感銘を受けた「ヨット遭難」、佐野三治氏と久方ぶりに出合えたのも嬉しかった。