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【下柳剛「超傑作トレード」&まさかの事態に絶句‥‥】エースのやきう日誌 《2020年4月15日版》

片岡篤史が自身のYouTubeチャンネルで、下柳剛と対談していた――

 

 

ちょうど日ハムで同じ釜の飯を食っていた頃を回顧していた動画で、興味深く拝見。新たに分かったことも多かったのだが、まずトレード秘話。1995年、ダイエーホークスとの間で交わされた、トレードである。当時の上田利治監督が下柳の獲得を望んでいたとか‥‥。それを知って、なお傑作

 

同年春に、下柳の起こした交通事故が遠因となったようなことが動画でも語られているけれど、実、トレード相手の武田一浩も、ハムで干されていた。彼はこれといった故障もなく、たしか「二軍で」タイトルも獲得している。チームは5位、豊富な実績を持つ投手だったにもかかわらず、だ。

 

傍から観ていても異様に映り、そこに首脳陣らと「大人の事情」が介在していたであろうことは、当時から予想はできた。ファームで腐っていたころを『悔恨の日々』と表した武田。『悔恨』という言葉を、私は彼を通じて知る。

しかし、武田への「仕打ち」はそれだけでは済まず、中日入り(筆者注:大学の大先輩・星野仙一が監督に就任)を望んでいたのに対し、球団は非情の、ダイエーへのトレード通告‥‥。そこに、王監督の心象を悪くした下柳が代わりにハムにやってくる。いわば「嫌われ者同士」の交換だ。四半世紀の時を経て、先の下柳の「告白」から、あらためて確信した次第(筆者注:武田の移籍先が中日なら、山本昌が交換要員に挙げられていた)

 

このトレードが、また巧くハマった。両投手は移籍先で生まれ変わったように大活躍。成績面以外にも、武田は若い城島健司を一人前の捕手に育て、のちにハムから阪神に渡った下柳は18年ぶりの優勝に貢献するなど、日本プロ野球の歴史をも変えた‥‥実に傑作なトレードであったと、言えないだろうか。

 

 

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対談では、今関勝の「名」もたびたび登場。ふたりのニュアンスで、なんとなく、チームにおける彼の立ち位置が伝わってきた。‥たぶん、球界関係者はココを見ていないと信じ書くが、この今関という男は、あまりいい話を訊かない。筆者が知る某野球アイドルも、態度がどうとかで彼に怒っていた(笑)。‥たしかに、活躍していたシーズンも、一時あるから天狗になってもおかしくないが、現役を退いても応援してくれたファンは大事にしないと。

 

 

 

といった「昔話」を、前日の時点で執筆していたのだが、まさか当の片岡篤史が「コロナ感染」とは‥‥。夜の報道に絶句。

くだりの動画では、特段具合が悪そうとかでもなかったし(どちらかといえば下柳の方が‥苦笑)、あれだけ身体を鍛えてきた元野球選手でも入院するまでに至らせてしまうとは、誠に恐ろしい病気だ。

球界では他に、梨田昌孝さんも罹患している。ハムに所縁のある者たちを、もう本当にこれ以上、苦しめないでほしい。

 

 

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