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【「回顧企画」 運命の悪戯?「ドラフト」にまつわるエトセトラ】酔っ払い親父のやきう日誌 《2020年5月05日版》

前回も触れた片岡篤史発の、YouTubeチャンネル。古田敦也がゲスト出演の回で発覚した衝撃事実に、某球団ファンは........

 

 

なんでも当時大学生だった「古田クン」のドラフト指名を匂わせておきながら、回避した球団が、日本ハムなんだそうな。‥それは私も以前、ウワサで耳にしたことはあったけれども、本人がそう言うのだから確かなのだろう。

語られていたように、社会人チームを経てヤクルトに行き、野村克也監督と出合えたことで彼の才能が開花した‥のを考えれば、万事これで良かったのかもしれないが、唯一、ハムサイドの視点とすれば、みすみす逃した魚はあまりにも大きかったのではないか。

 

こういった話はよく訊き、ハムはあのイチロー愛工大名電)の指名も検討していたという。‥古田もイチローも、結果的に抽選とはならなかったわけだし『迷うぐらいだったらさっさと指名しろよ!』そうツッコみたくなる。それに「事後報告」なら誰だってできるのだし、かえってかっこわるい(笑)

 

まぁ古田にかんしていえば、眼鏡どうのは置いておき、当時は田村藤夫という正捕手がまだ健在だった。ヤクルトのときみたいに、一年目からバリバリやれていたかは分からない。

一方のイチローはどうか。‥おそらくハムでも(高校時代の)投手ではなく、打者としての育成を目指しただろう。その観点でいうなら、1991年のドラフトでハムは田口壮のクジを外し、上田佳範松商学園)を1位で指名している。彼も本来、投手でありながら打撃に定評があった選手で、少々言い方は悪いが『潰しがきく』と考えていたはず。そして、現実に野手転向した。

 

つまり、上田指名によって「同タイプ」のイチロー獲得を見合わせた可能性がある。さらに付け加えるなら、ともに田口壮の抽選に臨んだのがオリックスで、もしハムがこの勝負に勝っていたら、田口&イチローの「両獲り」に成功‥‥。はては、90年代パ・リーグの盟主となっていたのはハムの方だった、かもしれない。

 

‥等々、妄想は無限に拡がっていく。もっとも当時の田口は強いオリックス志望とされており、ハムが交渉権を獲得したところで入団を拒否されていた可能性も、なくはない(苦笑)

 

 

当事者・現在のイチロー

Number(ナンバー)1000号[雑誌]

(C)amazon

 

 

オリックス時代のイチローを完璧に封じ込んだ投手がハムにいる――

 

柴田保光だ。二桁打数対戦し、無安打に抑えているのは柴田だけと訊いた(10-0)

この投手、前記事でダメだししてしまった、同時期に在籍していた西崎幸広よりも、安定感という点では上だったのではないか。ただし、なぜか彼は「勝ち運」がなかった。北海道移転後に武田勝が打線の援護に恵まれず、なかなか勝ち星がつかないシーズンがあったけれど、あれに近いイメージ。不思議と、そういう巡り合わせの投手がいる。

 

筆者はハム時代の柴田しか知らない。ハムに移籍してくる前、西武にいた頃は豪速球の持ち主だったらしいが、それが信じられないくらい、コントロール重視の老獪な投球を展開していた。

1990年4月25日のノーヒット・ノーラン(対近鉄、それから約2週間後、西武打線を沈黙させて、今度は逆に渡辺久信ノーヒットノーランを「阻止」する12回完投の快投(敗戦投手)。記録にも記憶にも残る、平成時代の名投手だった。

 

 

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