センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

【山賊打線も目じゃない?ヤバい打線&内川聖一「プロ野球」ここまで言って委員会3】酔っ払い親父のやきう日誌 《2020年11月19日版》

野球界にいた方々のYouTube動画を眺めていると、まぁすごいね‥‥。

選手時代、指導者の暴力沙汰が日常茶飯事といった塩梅。もっとも、つい2、30年前までは一般社会においても教師による生徒への暴行、虐待(廊下に立たせる グランドを何周も走らせるetc)の数々が横行していたのだから「むべなるかな」なのであるが。‥今だったら考えられないでしょう? あの当時の先生方は『歯を食いしばれ』的な、スクール〇ォーズか何かの影響を受けていたんだと思う(笑)、たぶん。

 

 

暴力、といえば北海道日本ハムの前身・東映フライヤーズ。なにせ当時在籍していた山本八郎氏の別名が「喧嘩のハチ」だったくらいだから(笑)。それにガチで警察沙汰になったこともある、若き日のハリーこと張本勲氏も、あの球団にはいた。

 

ハリーが先日発売の週刊ベースボール、自身が持つ連載のなかで東映が誇れる世界記録1971年の「5打者連続ホームラン」についての貴重な証言をしていて、興味深かった(※1)

ハリーは「4打者目」のバッターで「1打者目」だったのが作道丞(さくどう すすむ)という、捕手。‥5名のアーチストのうち、筆者もこの作道氏のみ、詳しくは存じあげていなかった。ハリーによれば、氏が同年放ったホームランは、この1本のみ。「2打者目」の大下剛史が同3本、「3打者目」の大橋穣が同7本‥。お世辞にもホームラン打者とは言えない選手が中に3人も含まれていたという。最後を締めた「5打者目」が、こちらも喧嘩っ早さでは有名だった大杉勝男

 

では、あまり語られることもない「6打者目」を目指した選手は誰だったのか。ハリーもさすがにそこまでの記憶はなかったようで(御年80)、注釈がなされていた。

ボブ・クリスチャン。アメリカ合衆国出身の助っ人だった。さらに調べてみると、この年16本塁打していて、作道や大下と比べたらはるかにパワーヒッターであったのに、彼で「打ち止め」になってしまうとは。‥全くもって野球とは予測不能なスポーツである。なお彼は東映退団後、28歳の若さで夭逝している。

 

 

駒沢の暴れん坊て‥‥笑

東映フライヤーズ あゝ駒沢の暴れん坊 (追憶の球団)

(C)amazon

 

 

内川聖一、移籍へ?

 

傍から見ていても、たしかに不可解だった。ソフトバンク内川聖一(38)に対する、今季の扱われ方がである。

 

www.dailyshincho.jp

 

 

工藤監督がいつか口にしていたように、若手選手の積極的起用かつ「守れる」選手を欲していたのは解かる。ポジションがかぶる栗原陵矢(24)に、あそこまでの活躍をされたら、今さら下げるわけにもいかなくなっただろう。

ホークス含めた多くのプロ野球ファンが、何か「ただならぬ予感」をいだいたのは、ちょうど下から誰を引き上げようかとなった際に、二軍でハイアベレージを残していた内川聖一、ではなくて(好調だったとは言えない)バレンティンが選ばれたときではなかったか。これは明らかにおかしいぞと。

 

リンク先の記事は、その辺りについては詳しく触れられていない。王貞治会長への不義理と、試合後の挨拶での発言内容が問題視されているとの由。

‥よくは分からないが、ファンも内川がホークス「最後の日」になるであろうことは、事前の報道などから解かったいたはずだし、内川とて、そのような場が設けられた以上、別れの挨拶をするのが、ごく自然な成り行きだったのではないか。別に恨み節などではなくて‥。

素人目にも、内川ならまだ全然やれそうだと感じる。セ・リーグ某人気球団入りが頻りに取り沙汰されているが、はたして稀代な右打ちヒットマンの行き先は――

 

 

《参考》

(※1)週刊ベースボール 2020年 11/23号 [雑誌]

 

にほんブログ村 ニュースブログへ