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【素人でも確信?「セ・パ格差問題」&背番号マニアックシリーズ「プロ野球」ここまで言って委員会31】酔っ払い親父のやきう日誌 《2021年2月01日版》

数年前から沸きだした、セ・パの格差問題........

 

 

昨年、一昨年と巨人が福岡ソフトバンクに為す術なく日本シリーズで四連敗を喫したことにより、トドメをさされてしまった格好だ。パ・リーグはDH制があるからなんの、近ごろ様々な著名人がコレに言及している。

 

目新しいところでは、先月31日のTBS系【林先生の初耳学】にゲスト出演したダルビッシュ有。林先生に、この問題を問われて『情報量のちがい』が大きいのだと。

パはリーグ間で情報の開示や共有ができているけれど、セはできていない。よってパ・リーグの選手たちは個々能力を高め合うことができた‥‥こう書いておいて、実は自分もよく理解できていない(苦笑)。哲学的なダルビッシュの思想、発言を文字に起こすのは難しい‥。

 

ダルビッシュ先生に物申すつもりはないが、この問題、もっとシンプルな気もしている。筆者が兼ねてから注目していたのは、オールスター戦。一時期、パはセにまったく勝てないときがあった。

1997年からの3年間、引き分けひとつを挟んでパはセに 8連敗も喫している。いくら「OASOBI」とはいえ度が過ぎると、徐々にパの選手たちも本気モードになっていったと記憶。

 

90年代後半といえば、パ・リーグ球団に所属する実力者が続々とFA移籍していた時代‥。それと併せて、ドラフトにおいては指名上位選手にかぎり、現在は廃止された「逆指名」の権利が与えられていた。‥けっきょく、この差なのではないかと。

当時のパ・リーグは超絶人気がなかったし、目玉とされる選手は大抵セ・リーグの球団を行き先に選んでいた。唯一、カネがあった頃のダイエーホークス(当時)だけはアマチュアの選手にも人気があったようで(「鷹版」根本マジック)、一人勝ちの様相‥。のちに常勝球団となったホークスの礎は、この時期に築かれたという見方もできる。

 

逆指名制度がなくなって、より戦力が均衡化されたのに加え、パ・リーグはドラフト会議での「クジ運」がめっぽう強いのは、有名な話。こうしたドラフトの成果が積み重なってセパの、異常なまでの格差が生まれてしまった‥‥そう、筆者は推測。

ちなみに逆指名の派生型「自由獲得枠」がなくなった2005年から3シーズンにまたがって再びオール・セントラルは6連勝しているが、以降は2019年まで12勝12敗1分けと、まったくの互角‥。交流戦の陰に隠れ、近年はめっきり注目度の低くなった「球宴」だけれど、あながち無視もできない戦績なのである。

 

 

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◇背番号トリビア

 

2020年、JFE東日本から北海道日本ハムにドラフト6位指名された今川優馬‥。

札幌市出身の彼は指名の瞬間、涙を流して喜んでくれたらしいが、隔世の感がある。とりわけ北海道に移転する前の日ハムは、12球団屈指の不人気球団ゆえ、指名選手の表情やら反応を見るのが甚く恐ろしかったから(苦笑)。この点ではドライチ・伊藤大海も幼少時から日ハムのファンであったと聴くし、頼もしい。

 

今川が着けるのは下位指名選手らしい、大きな背番号「61」

ただ北海道日本ハムにおかれては、けっこう縁起の良い番号で、過去には中継ぎの一角を担い、移籍先の東京ヤクルトでも大活躍をした押本健彦。さらにはあの「有名人」な杉谷拳士も、入団時に背負っている。「出世番号」そう言って良いのではないか。

 

他球団を見渡せば巨人・坂本勇人の若手時代、五十嵐亮太とともに『ロケットボーイズ』で名を馳せた左腕・石井弘寿も同番号だ。日本ハム‥いや、パ・リーグの「61」は、ぜひ今川の番号としていただきたい。

 

 

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