前年につづき、ゴールデンウィークに野球がないのは異例‥‥というのは前回記事でも書いた。
まぁ他のカードの試合感想などを綴ってもいいのだけれど、それでは読者も退屈だろうし、何より私自身がつまらない(笑)。せっかくだから、この空き時間?に「GWとファイターズ」の思い出を、超主観で送ってみたい。
まだ幼いころ、今は失き後楽園球場にも足を運んでいるそうなのだが、さすがに記憶にない。したがって、筆者の記憶は「東京ドーム時代」から始まる。
ヲタク的ハム好き親父に連れられ、初めて家族で足を運んだのはドーム開場年の1988年。今は誰もそう呼ぶ人はいないけれど、東京ドームが「ビッグエッグ」と呼ばれていた時代だ。
あらためて調べてみると、開幕2戦目の1988年4月9日、当時のロッテオリオンズ戦。あの変わり者親父も、日本初の屋根付き球場には、興味津々だったということか。当日は、試合終盤の8回に、白井一幸が満塁走者一掃の逆転タイムリーを放って、日本ハムが辛勝している。
わりと勝負強い一面もあった白井
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次に家族で観に行ったのは、翌1989年の5月5日。いわずもがな「子どもの日」である。‥あんな親にも、そういった「心づかい」があったのかと思うと、少し泣けてくる。
観衆56000人。超満員に膨れ上がったこの日は対オリックス戦で壮絶な打ち合いを制した日本ハムが9-8で勝利(もっともこの頃は「ドーム特需」で満員になることも珍しくなかった。ハム戦でも笑)。
序盤で6点もの大差をつけられ、親父の『来るんじゃなかった(怒)』のボヤキは、今でも鮮明に憶えている。ところが意外にもこの劣勢を跳ね返し(当時のハムは貧打線で有名)、9回サヨナラ勝利を収めたのである。殊勲者は奇しくも前回と同じ、白井一幸のサヨナラヒットだった。
こうした「巡り合わせ」とはよくあるもので、以外の、私が観戦した試合ではなぜか、津野浩登板ゲームが多かった。内心望んでいた西崎幸広ではなく(笑)。ちなみに当日も津野で、3回途中でKOされていた‥‥。
少し年月は飛んで、1994年5月4日、敵地での西武ライオンズ戦。当日は珍しくテレビ中継されていたのもあってよく憶えている(鉄板のテレ朝)。
8回に代打・大島康徳に逆転満塁ホームランが飛び出した試合。たしかライト方向へ、ライナー性の鋭い当たりだった。当時の大島は43歳で「代打の切り札的」存在として睨みをきかせていたが、後年の鈴木誠也よろしく、同年はいっそう神がかっていた。
結果として最下位に沈んだシーズン。GW期間中、大ベテランが放った「奇跡の一打」がこの年、最大のハイライトだった。