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【「全国中継」で映えた? オレンジユニフォーム時代の球宴「プロ野球」ここまで言って委員会79】メランコリー親父のやきう日誌 《2021年7月17日版》

オールスター戦というものを毛嫌いしていた、私の父親........

 

 

『真剣勝負ではないから』そんな理由だった気がする。まぁ確かに近年は特に、近本光司のサイクル安打も、若干イカサマぽかったし(笑)、藤浪晋太郎中田翔プレゼンツの、とんでもない「茶番」も過去にあった。

 

「OASOBI」とまでは言わないが、所詮お祭り‥‥のオールスターで、今年はガチ送りバントと、球宴史上初の申告敬遠。9回の攻防は、大いにネット民をザワつかせた。こうした真剣勝負が観られたなら、うちのオヤジも、そこまでオールスターを嫌いにならなかったかもしれない。

 

 

今季の順位を象徴するかのごとく、北海道日本ハムからは投手の上沢直之と、外野手部門の近藤健介。わずか2名のみの選出。2名だけは、筆者の記憶が正しければ1995年以来の最少選出ではないか西崎幸広田中幸雄。しかも、今年は近藤が直前で体調不良により欠場するとのこと。実質、上沢ひとりでワースト更新?

 

そのチーム唯一の「希望」であった上沢が第一戦で、4失点を喫する。リーグ戦終盤でも調子を落とし気味であったとはいえ、2イニングを投げて6被安打‥。あんま、にこやかに笑っていられる状況でもなかったのだが。傍からは(苦笑)

 

 

確かに真剣勝負を求むが、筆者がオヤジほどオールスターを嫌いになれなかったのは、日本ハムの選手がスポットライトを浴びられる点。コレに尽きる。なにしろ不人気パ・リーグの中でも底辺に位置した、マイナー球団所属の選手がメジャーになれる、数少ない機会であったのだから。日本シリーズとも無縁な当時の日本ハムにあって「全国中継」は有難かった。

 

あの頃は、ハムの選手がベンチ内で誰と会話しているかに注目し、相手が名だたるスター選手とかだと、観ているこちらまで嬉しくなった。うちの選手と仲良くして頂いてありがとうございます、的な(笑)

 

個人的に印象に残っているのは、ともに最初で最後となったオールスター、1992年に監督推薦で選ばれた 中島輝士鈴木慶裕のドラフト同期コンビ。

オリンピックにも出場した中島はともかく、鈴木の名は、このオールスターで初めて知った人も、けっこういたのではないか。マイナー球団がゆえの、人気球団では味わえない、そういった歓びが昔のオールスターにあった。

 

 

慶裕と書いて「よしひろ」と読む

BBM1992 ベースボールカード レギュラーカード No.373 鈴木慶裕

(C)amazon

 

 

夏の夜に打ちあがる花火のように、一瞬の煌めきを放つ選手が、ハムにはやたら多い気もするが、中島・鈴木両選手は、その「野手版」か。同年は春先から好調を維持し、規定打席に到達して自己ベストの成績をあげた。

 

まぎれもなく、彼らも当時のファンたちにとっての「希望」であった。

 

 

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