オリックスが25年ぶりのリーグ優勝、クライマックスシリーズも勝ち抜き、日本シリーズ進出を決めた.......
「25年ぶり」と聴くと、久々に優勝を果たした2006年、あのときの日本ハムと同じ。終盤戦にきて投打の歯車がガッチリと噛み合っていた点といい、若手と中堅がうまくミックスされたチーム編成といい、今のオリックスを観ながら、もっとも勢いがあった当時のハムを懐かしく思った。
オリックスの躍進には、さまざまな要因があるだろう。敗けないエース(山本由伸)に、吉田正尚のあとを打つ、頼もしき4番バッター(杉本裕太郎)の誕生。他に、1、2番打者を固定できた点が大きかったという人もいる。福田周平と宗佑磨の並びだ。
なるほど、言われてみれば06年のハムもシーズン中盤辺りから森本稀哲、田中賢介の1、2番で固まった。高い出塁率と脚の使える森本は福田のようでもあったし、田中賢ほど、宗は繋ぎに徹していたという感じでもなかったが、時おり「大仕事」をやからすところも、何となく両選手は被る。
わりと大事な1、2番。今季の北海道日本ハムは一向に定まる気配がなかった。本来であればトップバッターにド最適な韋駄天・西川遥輝がいるのだし、他球団よりは組みやすいはずなのだけれど‥。新たな選手の台頭を待ちたい。
通算1499安打
(C)amazon
◇1996年 vol.1
日本ハムの「25年ぶり」と比べ、そんなに昔の出来事のようにも思えなかったのは、ただ単に、私が1996年のプロ野球も、この目で見ていたからなのだろう。よくも悪くも、いろいろなことが起こったシーズン。
同年を語る際、切っても切れない話のネタとなるのが、上田利治監督の途中休養。家庭の問題とやらで優勝争いの最中にチームを離れた。ファンはおろか、これには選手も非難轟々だったそうで、後年、金石昭人も苦言を呈していた。
最近YouTubeでこの話題をしていたのが、広瀬哲朗。どうも引退の引き金にもなったというのだから穏やかではない。‥彼の話によれば、現役最晩年の1998年。自分を一軍に引き上げて欲しいと上田監督に頼みに行ったら聞き入れられず、その腹いせに、2年前の「家庭の問題」を持ち出し、さんざん罵ったのだという。
申し訳ないが 『そりゃあ干されるよな』と(笑)
ただ当時のことは広瀬氏もだいぶ後悔しているらしく‥‥。いまひとつ彼のYouTubeチャンネル登録者数の伸び悩みと、野球界での人脈が他の元選手と比べ希薄なところも、そんな話を伺って合点がいった(つづく)
片や中日二軍監督、片やNPB球団から未だお声かからず
(C)amazon