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【「ファンに与えてくれたもの」コディ・ポンセ「プロ野球」ここまで言って委員会242】メランコリー親父のやきう日誌 《2022年8月30日版》

当日時点で今季ワーストの8連敗中‥‥目下パシフィックリーグ断トツ最下位の、絶望的な状況下に置かれたチームにあって『これくらい良いことがあってもイイのではないか』そんなふうに、過度な期待はしないよう自分に言い聞かせて見守っていたら、本当にやってのけてくれた。コディ・ポンセ........

 

ノーヒットノーラン達成

 

www.sponichi.co.jp

 

最後決めた併殺のシーンと、8回ヒット性の当たりを好捕した中島卓也の映像を、もう何度繰り返し見たことか。おそらく、100回近く‥。ここまで同じ箇所を繰り返して見ていたら、かつてのビデオテープ(VHS)なら擦り切れて、無用の長物となっていたことだろう。文明の利器(パTV)に感謝する、昭和生まれのオッサンだ。

 

数々のトピックがあった。日本ハムの選手としては札幌ドーム初‥。外国人投手は06年のヤクルト・ガトームソン以来‥。そして日ハム球団でも「ノーノ―」達成者は、27年前の西崎幸広氏以来だという。

そう伝えられて、当時の情景が甦ってきた。食卓を囲み、家族で聴いていた文化放送。したがって対西武戦。快挙達成の瞬間、おもわずはしゃいでしまって、やはり昭和前期生まれの激昂型親父に『うるせぇ』そう一喝されたっけ。

あのとき、ともに喜びを分かち合ったあの家族はもういないのだと思うと、若干センチな気分にもなった。‥それくらい久々の、日ハム投手によるノーヒットノーラン

 

達成の瞬間

BBM2010 MEMORY MAKERS IMPACT SCENES No.IS4 西崎幸広

(C)amazon

 

ベンチ内でも陽気なポンセが珍しく険しい表情を浮かべていた、最終回の前、味方の攻撃中。のちに(ノーノ―達成への)緊張から『吐きそうだった』というポンセは、先頭打者を簡単に歩かせ、初回以来の走者を許してしまう。

‥点差はわずか2点。最悪のシチュエーションも過ったが、好打者・今宮健太を1球で打ち取れた併殺には助かった。本当に苦しいシーズンだったけれど、ペナントも最終盤にきて27年ぶりの大記録を拝めたのだから「良いこと」はあった。

 

また何年後かの未来に、その日を振り返る日が来るのだろう。

『当時の日ハムは飛びきり弱かった。けど、昭和時代にもいた名選手と同名のポンセという外国人は、たいそうイイ投手だった。たしか、札幌ドーム最後の年にノーヒットノーランを見せてくれたんだよ』

 

ポンセの快投が球史と、我々の記憶の中に、深く刻まれた。

 

 

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