こんな歌詞に乗せて唄われるテレビコマーシャルが、昔あった。
ファミスタあれば 一生しあわせ
ファミリースタジアム。略して、ファミスタ。
来る日も来る日もファミスタをやっていた。それこそ、本当にあのCMの通りだった当時の自分。飽きもせずに続けてこれたのは、確固たる目標が、僕にはあったからだ。きちんとペナントレースを闘い、「F」ちーむを日本一にさせるーー
“現実”では決して起こりえなかったことが、あの世界では、実現できた。弱小のレッテルを貼られていた「F」軍団を、僕が監督兼プレーヤーとなって率い、強豪チームを次々となぎ倒していく‥。痛快だった。
ただ、できるだけ“リアル”を反映するファミスタでも、もちろん苦労はさせられた。中軸にホームランバッターが揃っている他ちーむと比較し「F」ときたら、実質4番の【ういんたす】のバット一本に頼らざるをえない、厳しいシーズン(シリーズ)もあった。150キロ放るような速球派の投手もおらず、代打陣もきわめて貧弱‥。
それだけに、いるメンバーでなんとかやり繰りして頂点をつかみ取ったときは、格別な想いだった。おそらく他ちーむでは味わうことのできない感動、誇りみたいなものが、そこにはあった。だから、やめられない。きょうもファミスタ、あしたもファミスタ.....
僕もオトナになり、また“リアル”の「F」も、だいぶ満足させてくれる戦績を残せるようになって、自然とあの世界から足が遠のいていた。今年、2017年になって、久々にファミスタを購入したのは、やはり“リアル”が不甲斐ないせいなのも若干あるが、それよりも昨シーズン日本一になった「記念」の意味合いの方が強かった。
考えてみれば、日本一の称号を得た「F」ナインを操れるのは、僕自身、ファミスタ史上初である。ちーむセレクトで、パ・リーグの先頭につけているのは、当然「F」。僕がガキの頃は、絶対にありえなかった。
昨シーズンのデータ、選手個々の能力が反映されているはずだから、今年の‥きっと今年までの「F」は強い。僕は、これを噛みしめたい。日本一の余韻に、いつまでも浸りながら。そして、ひょっとしたらファミスタ最後の登場かも知れない大谷翔平をこの手で操れるのも、極上の愉しみである。