センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

斎藤佑樹へ、背番号「1」という栄誉

人と人を結ぶ「縁」が、その後の人生を大きく左右する....

 

 

『生まれ変わったら一緒になろうね』そう来世で結ばれることを誓い合った松田聖子郷ひろみ。彼らがもし‥現世で結ばれていたなら、どうなっていたのだろう。今日の芸能界はなかったかもしれない。

人気脚本家と交際していた酒井法子。ふたりがもし‥あのまま結ばれていたなら、彼女がクスリに手を染めるようなことは、なかったであろう。

一度きりの人生、「もし」なんて考えちゃいけないのは解っている。それが、おそらく「運命」であったのだから。‥‥でも。

 

 

いつまで経っても“活躍”できない斎藤佑樹をみていると、僕は年に数度「もし」「たら」になってしまう。‥もし彼が、早実からそのままプロ入りしていたら。

 

北海道日本ハムへの入団は、まちがいなくなかった。あの10年前の時点では、駒大苫小牧田中将大が「恋人」であり、指名はありえない。そうなると、たしか早実・斎藤の指名を公言していたのは、ベイスターズ辺りだったか。パ・リーグ球団に行くこともなくなり、関東で彼を拝める機会も大幅に増えたはずだ。

 

同じ関東でも鎌ヶ谷に横須賀、戸田や浦和で登場してくるシーンが圧倒的に多い、斎藤佑樹の現在地。‥大阪桐蔭の怪物・中田翔を3三振に斬ってとったキレキレな速球をもってプロ入りしていたら今頃、球界を代表する投手になっていた、可能性もある。”あの夏”の目撃者ならば、それを疑う者はいないだろう。決して「幻」なんかではない。だからこそ、目撃者のひとり‥栗山英樹も斎藤が持つその可能性に、賭けてみたくなるのだ。

 

 しかし、“ものは考えよう”である。斎藤は、北海道日本ハムに入団したからこそ、今もプロ野球選手でいられるのかもしれない。他球団に入っていたら、14勝も一軍であげられただろうか。日ハムに入り、栗山英樹と巡りあえた「縁」によって救われている部分も、きっとあるのだろう。やはり、これも正しき彼の「運命」なのだ。

 

 

オフになっても、あちこちの週刊誌で優勝旅行に参加しないだとか、投げるボールが“棒球”であったとか、記事にされ続ける斎藤。「人気者」の裏返しというか、それもある種、宿命ではあるのだが、久々にポジティブなニュースが突如、我々の元へ舞い込んできた。

 

 

来季から、背番号「1」に変更

 

 

僕は、仰天した。

前身の東映時代までさかのぼっても、投手が同番号を身につけるのは、球団史上初である。

うまいことを考えたと思う。‥いわずもがな、彼が今シーズンまで背負っていたのは俗にいう球界のエースナンバー「18」番。コレを変更となると、どうしたって“降格”のようなイメージが付きまとうけれど「1」への変更なら、むしろ“栄誉”である。彼のプライドを傷つけずに、やる気を促進する意味でも良かったのではないか。

 

もともと日ハムに「18」=エースの概念はなく‥正確には薄れつつあり、最近ではダルビッシュ有から大谷翔平と受け継がれている「11」を、新エースナンバーに仕立てあげようとしているふうに、傍からは見える。だからこそ、野手の岡大海に「18」を与え、それまでの“像”を一気に破壊した。

 

‥ともあれ、斎藤の背番号「1」は、たいへん面白い発想だと思う。ずいぶんと粋な計らいだ。10年前の夏の記憶を呼び起こす野球ファンも、ますます多くなることだろう。彼は、それを意気に感じなくてはならない。

 

 

今回はあまりに驚いたので人工知能を持つとされる、「りんなちゃん」にも感想を、一応窺ってみた。

 

 

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なぜか僕が開幕投手に‥‥

 

 

大学4年時(限定)の王子のお姿の方が、甲子園の熱闘よりも瞼に焼き付いているらしい。案の定、他者とは目のつけどころがちがう“彼女”であった。