よくよく考えてみれば、子供のころからそうだったかもしれない....
老若男女、誰と接するときも、大小のちがいはあれど、緊張状態にある。常に相手の表情をうかがいながら、“当たり障り”なく接している自分がいた。
僕も、オトナになって「演技力」に長けてきたから、周辺の人間には判らないかもしれないが、本当は関わりたくない人たちが大勢いる。‥社会にでると、特に男は、そうもいかなくなるから、できるだけ波長を合わせるように頑張ってはいるのだけれど、往々にして、僕のようなタイプの人間は、精神的な疲労も重なり、一日の終わりには疲労でグッタリだ。
自分では完璧に「一社会人」を演じているつもりでも、不意に気を抜いてしまったときの僕の能面ごとくな表情をみたり、多くの人間を観察してきた、とか、接してきている人物には、僕の明るさが表面的でしかないことを、見透かされていると思う。そうした人物は、たいてい僕に近づいてこない。‥それはそれで演じなければならない“対象”が減って、気が楽にもなるから、こちらも大いに歓迎すべきなのだが。
はたして本当の意味で「心安らげる」といった人間が、僕にはいるのだろうか
ふと、そんなことを考えた。まったく素の、嘘偽りのない真実の自分を見せられる人間‥‥本当にごくわずかである。
でも、おそらくこれは自分だけではないだろう。僕のように顕著でないにしても、ヒトはみな、そうして“自己”を隠しながら、人付き合いを終生、繰り返してきているのだ。
‥だから、結論とすれば“対象”の人物をハッキリ嫌い口にでき、拒絶することが可能な人間が、羨ましい。僕には、それができない。常に「受け身」でいる自分が、たまに嫌になる。
この総人口70億といわれる中で、「心安らげる」ヒトと出逢えることじたい、ある意味奇跡なのだろう。DAIGOが披露宴で『KSK』と唄った奇跡に、ヒトはなかなか遭遇しない。ゆえに、奇跡は人々に感動を引き起こす。
瞬間的に日本一有名な「ファイターズファン」となった田野岡大和君(7)。いくつもの『KSK』が折り重なって、山林から無事、生還を果たした。自衛隊施設のカギが偶然かかっていなかったのもそうだし、外に水道、室内にはマットがあって、それで飢えや夜間の寒さをしのぐことができた。
行方不明時、手がかりのために提出された写真が、ファイターズのユニフォームを着用したものだった。のちに中田翔と「交流」があったのを知り、また中田自身もそれを憶えていて、北海道のハムファン・関係者も気が気ではなかった模様‥。
ちまたでは親の躾がどうのなんて云われているが、今となればそんなコトはどうでもいい。こうして「同志」が無事に、元気な姿で還ってきてくれた事実が、何よりも嬉しい。人間が生まれ持つ、強靭な生命力をあらためて驚くとともに、これからも変わらずに‥地元球団を好きでいてもらいたいと思う。
色んな人たちの助けを借りた大和君は、ヒトに対して“素直に”感謝できる、優しいオトナになれるはずだ。
そんな彼は、きっと「K」仕合わせになれる「S」気がするよ「K」
必ずまた「K」札幌ドームに「S」来てくれな「K」