おしんこ、おいしいねえ
【新郎】ほど、優しさに満ちた作品が他にあるだろうか‥。実は、筆者がいちばん気にいっているのが、これである。そこまで有名な作品ではないけれど、ファン人気は高い‥方だと思う。
題名からして「結婚」が絡むと話なのかと思いきや、ストーリーには、まったく関係はない。物語の最後で、その“意図”と、【新郎】の新事実を、読者は知ることになる。
主人公である「私」と、彼の妻。何もない”食卓で交わされる、貧しい夫婦の“会話が、とにかく愛らしい。
食卓の上には、何も無い。私には、それが楽しみだ。何も無いのが、楽しみなのだ。しみじみするのだ。家の者は、面目ないような顔をしている。すみません、とおわびを言う。けれども私は、
矢鱈 におかずを褒めるのだ。おいしい、と言うのだ。家の者は、淋しそうに笑っている
情景が目に浮かんでくる。妻への思いやりや配慮といったものも、もちろんあったろうが、「私」は、もう別のところの境地にいた。‥こんなふうに書かれている。『まずしいものを褒めるのは、いい気持だ』
だから、“何もない”ことすら、楽しみになった。ありふれた佃煮だろうがおしんこだろうが、彼にとって、それは何も問題はない。ただ褒めて、ヒトを嫌な気持にさせない。そして何より、ヒトに優しくして、自分自身がいい気持になった。『おしんこ、おいしねえ』の一節が、たまらなかった。
【人間失格】に代表されるように、太宰治の作品には「陰鬱」なイメージを抱いている方も多いようだが、そればかりではなく【畜犬談】は明らかに笑いの路線にいっているし、【パンドラの匣】という、男女の淡い恋愛模様を描いた作品も、自分は好きだ。
変わり種では、【恥】。筆者は以前「世にも奇妙な物語」を好んで視聴しているといった旨のエントリーを書いたことがあったけれど、【恥】は、まさにそのテイストだ。妄想女の悲劇‥いや、喜劇。
作品の中でもよく見受けられる語句「三鷹の家」。‥今月19日、桜桃忌の日に、太宰治が眠る三鷹市の禅林寺へ、足を運んできた。今年は日曜日というのもあって、大勢の方が、花やサクランボを手向けていた。
その足で「文学サロン」に立ち寄り、普段、職場などでは交わせない「太宰話」を(スタッフ相手に)これ見よがしに語るのが、王道のパターンである。
有意義な時間だった。
2016.6/19 14時頃撮影