長年忘れられない光景がある.......
まだ僕が幼かったころの話。母に連れられ、商店街の裏通りにあった八百屋の前を自転車で通りかかったときのこと。そこの店主が何やら気さくに声をかけてきた。何と言っていたのかは判然としなかったけれど、母をニックネームで呼んでいたような‥‥つまり本当の“一言”であり、少なくとも業務上での「掛け声」でなかったことは記憶している。
いや、それだけなら単純に『安いよ~』とか声をかけていた線もなくはないが、もうひとつ、僕にはどうしても忘れられない‥とても印象的な事由があった。
母の顔である。このとき覗かせていた表情が、ふだんは見せることのない、気まずそうでもあり、どこか困惑しているといった様子のテイ。子供ながらに僕も、両者の間で確実にあった何かタダゴトではない空気、雰囲気を察知していた。
このシチュエーション、考えられるコトはひとつ。
ふたりは過去に付き合っていた‥‥
おそらく、流行りの「不倫」とかの類ではないはずで、やましい心情があったなら子連れのおばさんにみすみす声をかけるような真似を、八百屋のオヤジもさすがにしてこないだろう。懐かしさがあって、たまたま偶然見かけたうちの母親に声をかけた‥‥
一方の母。私はもう主婦。まして子供がいる手前、“昔の男”と話し込むわけにもいかず、母はその場をやり過ごした‥‥そんな感じではなかろうか。
むろん、すべて推測に過ぎないが、僕も大人になった今なら当時のことを聴ける気がする。‥‥他にも聴きたいことは山ほどあったのに、残念ながら、それは叶わなくなってしまった。
しかしながら、心のどこかでそういった疑いを抱いていても、やはりあの当時はまだ想像しづらかった。母の元カレ‥?? クエスチョンマークふたつでも足りないくらい。
たしか母親は20代の半ば頃に父と出会い、結婚したと思ったが、でも考えてみたらそれ以前に、恋人の一人や二人いたかもしれない。むしろそう考えるのが普通だろう。
母も世代的には“昔の人”なので、なんとなく、初めてできた恋人とそのまま結婚に至ったのだという思想も、完全には捨てきれずにいたのだけれど。‥当たり前だが、将来「八百屋のオヤジになった」彼と母が結ばれていたなら、今の僕はここに存在していない.......
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“運命の人”は、本当に存在するのだろうか。仮にいるとすれば、その人といつ出会い、僕らはそれのどこに「終着点」を見出せば良いのか。結婚することなのか‥子孫を残すことなのか‥いや、それ以前に“出会う”ことこそがもう運命なのか‥。明確なこたえは、きっと誰にも分からない。
「世にも奇妙な物語」版、【まだ恋ははじまらない】がそういった話。ふたりはすでに出会っていて、互いに意識しあってもいるのにすれ違い続け、ただ時間だけが無情に経過していく。たとえ“好き同士”でも一緒になれなかった男と、女‥‥。
でも、運命というものが本当に存在するのなら、また、いつか出会える。導かれるように、自然に出会う。‥あなたと出会うのを待っている人がいる。それを教えてくれた作品。
彼らに、明日はあった。